出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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北極探検
ほっきょくたんけん
Arctic expeditions
17世紀以降行なわれた北極海における海洋航路の開発や島々の探検。1607年イギリスのヘンリー・ハドソンが北緯 81°48′に到達したのを契機に 1827年イギリスのウィリアム・エドワード・パリーは,そりで北緯 82°45′に到達。1871年アメリカ合衆国のチャールズ・フランシス・ホールは船で北緯 82°11′に達した。1881~83年アメリカのアドルファス・ワシントン・グリーリーは北緯 83°24′に到達。1893~96年ノルウェーのフリチョフ・ナンセンは北緯 86°14′に到達。アメリカのロバート・エドウィン・ピアリーは数回の探検ののち,1909年4月北極点に達した。1925年ノルウェーのロアルド・アムンゼンとアメリカのリンカーン・エルズワースはスピッツベルゲン島から北緯 87°44′まで飛行し,1926年5月12日アムンゼンとエルズワースはイタリアのウンベルト・ノビレとともに飛行船で極点に達し,北極を横断した。その 3日前の 1926年5月9日に飛行機で極点を飛行したと主張したアメリカのリチャード・E.バードは,初の極点飛行家とされてきたが,1996年に発見されたバードの日記から,今日では極点到達が疑問視されている。アメリカの原子力潜水艦『ノーチラス』号(艦長ウィリアム・R.アンダーソン中佐)は 1958年8月に氷の下から北極点に到達,同『スケート』号は 1959年3月初めて極点浮上に成功した。1978年4月に日本大学北極点遠征隊が日本人として初めて極点に到達,その 1日遅れの 1978年4月29日植村直己が世界初の単独到達を果たした。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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北極探検(ほっきょくたんけん)
中世以降,北極探検は東アジアへの最短航路の開拓や捕鯨,毛皮猟などを目的として行われたが,19世紀以降,北極点到達への競争へと変化した。1895年ナンセンは,北緯86°14′に達して極地が海洋であることを確かめ,1909年ピアリは初めて北極に到達した。26年バード少将とアムンセンは,それぞれ飛行機と飛行船で北極飛行に成功し,58年アメリカの原子力潜水艦「ノーチラス」は極地氷原下をぬける北極横断の航海に成功を収めた。日本人では,1978年初めて植村直己が北極点単独踏破を成しとげた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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北極探検
ほっきょくたんけん
北極地方の学術探検
19世紀後半から本格化し,アムンゼン・ナンセンらの活躍をへて,1909年ピアリが初の北極点到達をなしとげた。また北極飛行も1926年バードによって行われた。その後たびたび学術的な調査・探検が進められるとともに,領土権の問題も起こってきた。1958年アメリカの原子力潜水艦ノーチラス号は,北極海氷面下の潜航に成功した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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