日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナースィレ・ホスロー」の意味・わかりやすい解説
ナースィレ・ホスロー
なーすぃれほすろー
Nāir-e Khusrau
(1004―1088)
ペルシアの詩人。バルフの近郊の富裕地主の家に生まれる。さまざまな学問を修め、ガズニー朝、セルジューク朝宮廷に書記、詩人として仕えた。40歳にして人生最大の転換期を迎え、職を辞しいっさいを捨てて、1045年から7年間にわたる旅に出立。エジプトのカイロでイスラム・イスマーイール派を信奉するファーティマ朝に仕え、イラン東部における同派布教の任務を授けられた。異端の徒としてセルジューク朝から迫害され、61年ごろアフガニスタンの僻地(へきち)ユムガーンに逃れ、没するまで同地で布教、作詩、執筆活動を続けた。ペルシア文学史上、神学・哲学詩人として高く評価される。『ナースィレ・ホスロー詩集』は元来3万句あったといわれるが、現存は約3分の1にすぎない。叙事詩型による長編教訓詩に『光明の書』と『幸福の書』がある。散文作品としては『旅行記』が代表作。7年にわたる西アジア各地の見聞をまとめたもので、紀行文学として一流の作品であり、11世紀におけるペルシア、アラビア、エジプトなどの事情を知るための資料として珍重される。ほかの散文作品はすべてイスマーイール派の教義に関するもので、『旅人の糧食』『兄弟の食卓』『二賢集合の書』などは同派研究の貴重な文献となっている。
[黒柳恒男]
『黒柳恒男著『ペルシアの詩人たち』(1980・東京新聞出版局)』