現代外国人名録2016 「ニックメーソン」の解説
ニック メーソン
Nick Mason
- 職業・肩書
- ロック・ドラマー
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1945年1月27日
- 出生地
- ウェストミッドランズ州バーミンガム
- グループ名
- グループ名=ピンク・フロイド〈Pink Floyd〉
- 学歴
- リージェント・ストリート建築工芸学校
- 経歴
- 幼い頃からバイオリン、ピアノを習う。リージェント・ストリート建築工芸学校時代、ロジャー・ウォーターズ、リック・ライトらとシグマ6を結成し、ドラムスを担当。1965年これにシド・バレットを加えてピンク・フロイドを結成し、’67年シングル「アーノルド・レイン」でデビュー、同年ファーストアルバム「夜明けの口笛吹き」をリリースした。当初はシドを中心としたサイケデリックなギター・サウンドを基調とし、’68年のシド脱退後はウォーターズ主導の大作を中心としたプログレッシブ・ロック路線に転換するが、一貫して穏やかなドラミングでバンドのサウンドを支えた。’71年ピンク・フロイドとして初の来日。’73年発表のアルバム「狂気」が初の全米1位を獲得、現在に至るまで約3000万枚を売り上げたロックの古典的名盤となった。’83年アルバム「ファイナル・カット」を発表した後、メンバー間の音楽に関する方向性の違いからウォーターズが脱退したため、バンドとしての活動を停止。この間、’81年にカーラ・ブレイと共同で初のソロアルバム「空想感覚」を発表。’84年にはリック・フェンとのジョイントアルバムとして「プロファイルス―ピンクの進化論」をリリースした。一方、音楽プロデューサーとしても活躍し、半身不随となる重傷を負ったロバート・ワイアットの復活作「ロックボトム」(’74年)やダムドの「ミュージック・フォー・プレジャー」(’77年)などを手がけた。’87年ギルモア、ライトとともにピンク・フロイドを再結成し、アルバム「鬱」をリリース。さらに’94年に発表したアルバム「対」が英米でチャート1位に輝き、それに続いて大規模なワールドツアーを行うなど旺盛に活動したが、’96年ロックの殿堂入り後にバンドとしての活動を再び休止した。ウォーターズとは確執が伝えられてきたが、2002年ウォーターズのコンサートに飛び入りで参加して他のメンバーに先駆けて和解を果たす。2005年アフリカの貧困撲滅を目的としたチャリティー・イベント、ライブ・エイトでメンバー4人が一同に会してピンク・フロイドの再結成コンサートを行い、話題となる。2014年、2008年に亡くなったリック・ライトへのトリビュートとして、ピンク・フロイドとしては20年ぶりとなるアルバム「永遠」をリリース。ピンク・フロイドとしての他のアルバムに「神秘」「原子心母」「おせっかい」「ザ・ウォール」「PULSE」などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報