ニュース映画(読み)にゅーすえいが

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニュース映画」の意味・わかりやすい解説

ニュース映画
にゅーすえいが

時事・時局的なできごとを報道する映画。英語はニューズリールnewsreel。映画の草創期は、ニュース映画ドキュメンタリー映画(記録映画)とは区別なく考えられていたが、ニュース映画が定期上映の形をとるようになったころから、ニュースの報道を第一義とする特質が明確になった。

 映画の開拓者リュミエール兄弟は、1896年からカメラマンを世界各地に派遣し、ニコライ2世の戴冠(たいかん)式やビクトリア女王葬儀などのトピックを映画化しており、日本でも義和団事件が勃発した1900年(明治33)に従軍撮影班が派遣された。1908年にフランスのパテ社によって定期ニュース映画が産声をあげ、すぐに週刊の「パテ週報」が登場した。この影響を受け、定期発行の形式はアメリカの「インターナショナル・ニューズリール」など各国のニュース映画に波及した。それまで「実写」または「出来事」とよばれていた日本でも、1914年(大正3)「東京シネマ画報」が毎月2回の発行を試み始めた。その後、大阪毎日新聞社による「大毎キネマニュース」(1924)、東京朝日新聞社による「朝日映画週報」(1924)などを経て、毎週、劇映画とともに併映、定期発行されるようになるのは、1930年(昭和5)の「松竹ニュース」からである。

 国家がニュース映画の重要性を認識するようになったのは両大戦の時期である。参戦国は有力なプロパガンダ武器として、新聞など活字媒体よりはるかに迫真性をもち、大衆参加に有利なニュース映画の効果に着目し、製作は活発化した。なかでも効果をあげたのがドイツで、第一次世界大戦では政府が自ら設立した映画報道機関を通じて宣伝手段として利用し、第二次世界大戦でも宣伝相ゲッベルスが、愛国心を高揚しナチズムを信奉させるため大いに活用した。日本でも、国策ニュースを浸透させるため民間の主要なニュース製作団体を統合した「社団法人日本ニュース映画社」が1940年に創設され、同時に映画法による強制上映も実施された。

 第二次世界大戦でニュース映画は全盛を極めたが、その後、アメリカをはじめとするラジオ・テレビ先進国では、速報性の点で追い付けず、先細りになっていった。戦後の日本では映画産業全体の活況とともに、新聞社から独立したニュース映画製作会社も増え、劇映画の配給系統がそれぞれのニュース映画を併映し、スポーツニュースや海外ニュースなども組まれた。戦中・戦後の映画全盛期にはニュース映画の専門館さえできるほど活況を呈したこの分野も、テレビ時代の到来とともに退潮を続け、テレビニュースに対抗するさまざまな編集上のくふう(特集など)もされてきたが、近年はほとんど影を潜めてしまった。

[奥村 賢 2022年6月22日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニュース映画」の意味・わかりやすい解説

ニュース映画
ニュースえいが
newsreel

現実の時事的な出来事を報道する映画。映画の初期にはアメリカのキューバ戦争,ロシアのニコライ2世戴冠式,アジアの北清事変や日露戦争の実写など,ニュース映画が映画の主流を占めていた。その後,劇映画が映画の主流となったが,実写の魅力と広範囲なニュースソースが人気を呼び,定期的に映画館などで上映された。定期的な上映はフランスの C.パテが始めた「パテ・ジュルナル」 (1908) が最も早い。日本では関東大震災のフィルムが大きな反響を呼び,1924年に『大阪毎日新聞』が「キネマ・ソース」を毎月定期的に公開した。トーキーになってからは日本の大手の新聞社が週刊ニュース映画の制作を始めたが,テレビが出現してからは衰退した。

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