テレビ・ドキュメンタリー(読み)てれびどきゅめんたりー

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

テレビ・ドキュメンタリー
てれびどきゅめんたりー

テレビ番組の一ジャンル。television documentaryの略称フィクション(ドラマ)番組に対して、「事実、現実」を記録するノンフィクション番組の総称である。その分野は「報道ドキュメンタリー」「ヒューマン・ドキュメンタリー」「紀行ドキュメンタリー」「スポーツ・ドキュメンタリー」「近未来ドキュメンタリー」など、番組の多様性に対応して多岐にわたっている。

 テレビ・ドキュメンタリーの方法論は、「ドキュメンタリー映画」の伝統を継承している。テレビの記録性自体が、ドキュメンタリーの根源的基盤であるが、テレビ・ドキュメンタリーは記録の連なりから、記録者が発見した新事実あるいは隠された真実の発見を第一義とするものである。フィクションのように想像力や恣意(しい)によって、事実を変形してはならないという「事実に対する倫理観」が必要である。テレビ・ドキュメンタリーの特徴は二つに大別される。一つは報道・ニュースから発展したものであり、問題提起・速報性を重要視する。さらに一つは主題を深く掘り下げ、隠された真実を発見するものである。とくに前者はテレビの特質である同時性と相関関係にある。

 アメリカのテレビ・ドキュメンタリーの古典は、CBSの「いまそれを見よ」(1951~58)であるが、エドワード・R・マローとフレッド・フレンドリーコンビによって制作された。その一本『マッカーシー上院議員の報告』(1954)は、事実の積み重ねから赤狩りのマッカーシズムを告発するものであった。CBSにはまた移民労働の矛盾を告発した『恥辱収穫』(1960)、ベトナム戦争を批判した『ハーツ・アンド・マインズ』(1974)があり、後者はアカデミー最優秀記録映画賞を受賞した。

 日本のテレビ・ドキュメンタリーの古典は、NHKの「日本の素顔」(1957~64)、日本テレビの「ノンフィクション劇場」(1962~68)の各シリーズである。「日本の素顔」は、大胆な仮説を映像のなかに発見した真実によって実証するという、ユニークな方法で展開したドキュメンタリーであった。『日本人と次郎長』(1957)、『古城落成』(1959)は日本人の精神構造を描き、『奇病かげに』(1959)は水俣(みなまた)病の本質に迫る作品である。「日本の素顔」はその後「現代の映像」「ドキュメンタリー」「NHK特集」「NHKスペシャル」(1989~ )へと展開していく。「NHK特集」は、『アマゾンの大逆流・ポロロッカ』(1978)などの映像詩、『日本の条件』(1981~85)などの国際社会での日本の生存原理を探る作品と、その幅は広い。一方「ノンフィクション劇場」の『忘れられた皇軍』(1963)、『ベトナム海兵大隊戦記』(1965)は、人間を狂気にする戦争そのものを告発した傑作である。

 1970年代なかばからローカル局のドキュメンタリーが興隆期を迎える。長崎放送の『もう碑(いしぶみ)は建たない』(1975)、中部日本放送の『木曽(きそ)の四季』(1975)、岩手放送の『喜美恵ちゃんの記録』(1977)、RKB毎日の『草の上の舞踏』(1980)、南海放送の『父から子への歌声』(1981)、北海道放送の『地底の葬列』(1983)など数多くの秀作が放送される。キー局のドキュメンタリー番組枠も少数ではあったが、いちおうの定着をみた。NNN(日本テレビ系)の「ドキュメント・シリーズ」(1970~ )は、沖縄、広島などローカルの主題を深く追求する一方、日本の食糧問題に取り組むなど力作を生み出している。JNN(TBS系)は「テレビ・ルポルタージュ」「土曜ドキュメント」ののち「報道特集」(1982~ )が報道性を第一義とする番組を制作している。80年代ではこのほかに、インドネシア残留日本兵を描いた『ジャピンド』(1983・朝日放送)、壇(だん)一雄の生涯を描いた『むかし男ありけり』(1984・RKB毎日放送)、被爆40周年番組の『夏炎』(1985・広島テレビ)、『核と過疎――幌延(ほろのべ)町の選択』(1986・北海道放送)、『はずれの末えいたち』(1987・青森放送)などが放送された。また「NHK特集」の『シルクロード』(1980)、『調査報告チェルノブイリ原発事故』(1987)はモンテカルロ国際映画祭ゴールドニンフ賞を受賞した。90年代では、中京テレビの『売られた楽園――真珠湾攻撃50年後のハワイ』(1991)、テレビ長崎の『道ゆきて――ある僧侶(そうりょ)の一年』、NHKスペシャル『新・電子立国』(1997)、無名の日本人を主人公とする組織と群像の知られざる物語『プロジェクトX――挑戦者たち』(2000~ ・NHK)などがある。

 テレビ・ドキュメンタリーはニュース報道と等価のテレビ・ジャーナリズム機能であるが、1980年代からは、放送時間枠も現状維持を続けている。一方、スペシャル企画など番組の大型化に活路をみいだしている。

[鳥山 拡]

『日本民間放送連盟編・刊『民間放送三十年史』(1981)』『河村雅隆著『ドキュメンタリーとは何か』(1995・ブロンズ新社)』『鈴木肇著『TVドキュメンタリスト』(2000・アートダイジェスト)』『草野厚著『テレビ報道の正しい見方』(2000・PHP研究所)』『日本民間放送連盟編『日本民間放送年鑑』各年版(コーケン出版)』『渡辺みどり著『テレビ・ドキュメンタリーの現場から』(講談社現代新書)』

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世界大百科事典(旧版)内のテレビ・ドキュメンタリーの言及

【ドキュメンタリー映画】より

…このドキュメンタリーの手法による劇映画の傾向は,その後も各国で多様化しつつ進展し,ポーランドではアンジェイ・ムンク,イェジー・カワレロビッチ,アンジェイ・ワイダらの〈ポーランド派〉(ポーランド映画),イギリスではトニー・リチャードソン,カレル・ライス,リンゼー・アンダーソンらの〈フリー・シネマ〉,フランスではジャン・ルーシュ,クリス・マルケルらの〈シネマ・ベリテ〉,あるいはまたジャン・リュック・ゴダール,フランソワ・トリュフォーらの〈ヌーベル・バーグ〉,アメリカではライオネル・ロゴーシン,アルバート・メイスルズ,リチャード・リーコックらの〈ダイレクト・シネマ〉が生まれ,その後の各国の映画に大きな影響をあたえることとなった。 現在では,世界の各国で文化的・政治的・経済的事情に従って多種多様につくられている〈ドキュメンタリー〉の大部分はテレビジョンに吸収され,〈テレビ・ドキュメンタリー〉として新しい〈マス・メディア〉,映像による〈世論〉や〈ルポルタージュ〉に転換しつつある。こうした〈ドキュメンタリーの大衆化〉状況のなかで,なお純粋な苦しい自主上映運動をつづける日本のドキュメンタリー映画は,《医学としての水俣病》三部作(1975)の土本典昭と《ニッポン国・古屋敷村》(1982)の小川紳介において,一つの〈新たな視点〉をもちはじめたかにみえる。…

※「テレビ・ドキュメンタリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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