日本大百科全書(ニッポニカ) 「のれん」の意味・わかりやすい解説
のれん
のれん / 暖簾
商家の店先に掛けて日よけとして用いる布帛(ふはく)製のもの。木綿を紺や茶で染め、屋号、商品名、紋所(もんどころ)を白抜きにしたものが多い。紺や茶に染めることは、退色しないためのものである。多くの場合、のれんの上部に竹棹(たけざお)を通すための乳(ち)がたくさんにつけてあり、日よけ用のものは風に吹き上げられないように両裾(すそ)に石のおもりがつけてある。のれんは『下学(かがく)集』『運歩色葉(うんぽしきよう)集』といわれる古い辞書には「たれむしろ」の意味であり、それがのちに布帛にかわったものである。わが国では古く家の出入口に下げた間仕切り的なものを幌(ほろ)、つまりとばりといい、蔀(しとみ)を上げた際の日よけ的なものを意味した。これは無地の色物を用いたが、江戸時代初期から、川越市の喜多院(きたいん)蔵の『職人尽絵』にみられるように模様を置くようになった。店の出入口ばかりでなく、水引のれんといって軒先に幅の狭い裂地(きれじ)を何枚もはぎ合わせて、それに模様を置いたものが、『職人尽絵』の縫取(ぬいとり)師(刺縫(さしぬい))や数珠(じゅず)師の店にみられる。江戸中期になると、どの商家でも水引のれんをかけるのが普通となったが、これは、日よけのれんは店内が暗くなるので、日差しが陰るとのれんを外すため看板としての用が足せなくなるために、水引のれんが日よけのれんにかわって宣伝の役を果たしたのである。のれんも最初は商品に関係あるものを染め抜いたり、エビ、カメ、ネズミの動物や鍵(かぎ)などを白地に染め抜いて屋号としたものであったが、江戸中期に入るころより、伊勢(いせ)屋、丹波(たんば)屋、丹後(たんご)屋、近江(おうみ)屋、播磨(はりま)屋、越後(えちご)屋など自分の出身地を染め抜くことも行われた。
人をたくさんに使っている大店(おおだな)では、長い年季を勤め上げると、「のれん分け」と称して、主人の家の屋号を使うことが許された。また、これをもらうことが、奉公人の名誉でもあった。
[遠藤 武]
法律上の暖簾
営業・事業から生ずる無形の経済的利益ないし財産的価値を有する事実関係をいう。老舗(しにせ)ともいう。英法ではこれをグッドウィルgoodwillといい、継続的に大衆から「ひいき」を受ける期待というように定義されている。「暖簾」はもともと店舗の入口に張る幕のことであるが、今日では一定の屋号、商号、看板などによって表されることが多い。暖簾は、得意先、仕入先、営業上の秘訣(ひけつ)、創業の年代、信用、評判などをその内容としているが、かならずしもはっきりした権利とはいえない。しかし、当事者にとっては無形財産を構成するため、取引の目的とされることが多い。他人の暖簾に対する侵害は民法上の不法行為になるという判例がある。
[戸田修三・福原紀彦]
貸借対照表計上能力
暖簾は経済的価値があるといっても、貸借対照表上に計上できるのか否かについては議論の余地があった。旧商法では、有償の譲受けまたは吸収分割もしくは合併により取得した場合に限り、貸借対照表の資産の部に計上するものとされていた。暖簾それ自体では貸借対照表に計上する財産とは認められないが、他の財産と一体関係になることにより、経済的価値があるものとして計上が認められている。すなわち、自家創設暖簾によって資産の額を増加させることはできなかったのである。これに対し、2005年(平成17)制定の会社法では、企業再編および事業の譲受けの場合に限って暖簾を計上することができることは旧商法時代と同じであるが、資産の部に計上するだけはなく負債の部にも計上することが認められた(会社計算規則11条)。承継する企業の評価額が貸借対照表の資産の部の合計額よりも低い場合には、負債の部に暖簾として計上できるようにしたのである。
[戸田修三・福原紀彦]
『遠藤武著『図説日本広告変遷史』(1961・中日新聞社)』▽『梅原秀継著『のれん会計の理論と制度――無形資産および企業結合会計基準の国際比較』(2000・白桃書房)』▽『津田倫男著『M&A時代の企業防衛術』(朝日新書)』