新撰 芸能人物事典 明治~平成 「ハナ肇」の解説
ハナ 肇
ハナ ハジメ
- 職業
- ジャズ・ドラマー,俳優
- 本名
- 野々山 定夫
- グループ名
- グループ名=クレージー・キャッツ
- 生年月日
- 昭和5年 2月9日
- 出生地
- 東京府 北豊島郡長崎町(東京都 豊島区)
- 学歴
- 工学院土木科(工学院専門学校)〔昭和21年〕中退
- 経歴
- 昭和21年16歳で年齢をごまかして進駐軍のジープ運転手となる。同年末、刀弥勝美のバンドでドラマーとしてデビュー。22年刀弥より“ジャズから始めると派手に叩くことばかりに頭がいってしまうから譜面を覚えるためにタンゴバンドに行った方がいい”と勧められ、内藤一郎とタンゴ・アンサンブルに移籍。その後、伊沢一郎カルテット、南里文雄とホット・ペッパーズ、萩原哲晶とデューク・オクテットなどで活動。30年ジャズメン仲間だった渡辺晋からリーダーバンド結成を持ちかけられ、ベースの犬塚弘、クラリネットの萩原、ピアノの橋本光雄、テナーサックスの柴田昌彦、歌手の南晴子、筑波礼子の7人でハナ肇とキューバン・キャッツを結成。この時、本名の野々山定夫をやめ、愛称“ハナちゃん”の“ハナ”に、なんでも一番が好きだから“一”を付けて“ハナ一”の芸名を考えたが、字面が“八十一”とみえるので、敬愛するジャズ・ピアニストの和田肇にあやかって“はじめ”の字を変え“ハナ肇”を名乗った。“ハナちゃん”の名付け親は、仲間のピアニスト・市村俊幸。渡辺が設立したマネジメント会社・渡辺プロダクションに入り、間もなくボーカルとギターの植木等、トロンボーンの谷啓、ピアノの石橋エータロー、テナーサックスの安田伸とメンバーが揃い、グループ名もクレージー・キャッツに変更。娯楽の主役がテレビに移行する中で、ジャズメンからテレビタレントへと転身。34年テレビ初レギュラーとなったフジテレビのコント番組「おとなの漫画」でコミックバンドとして注目を集め、同番組で放送作家の青島幸男と出会う。36年からは日本テレビの歌謡バラエティ「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演、音楽とギャグが同居したナンセンスでスピード感のある笑いは、それまでの落語や漫才、藤山寛美に代表される人情喜劇とは対照的で、日本人の笑いに革命をもたらし、植木の“お呼びでない、こりゃまた失礼致しました”“ハイそれまでョ”、谷の“ガチョーン”“ビローン”といったギャグは一世を風靡。同年青島が作詞、萩原が作曲を手がけ、サラリーマンの悲哀を笑い飛ばした「スーダラ節」を発売、流行語にもなった“わかっちゃいるけど、やめられない”という歌詞、植木の明るく伸びやかな歌声と“無責任”なキャラクターが、高度経済成長を背景に“昭和元禄”と呼ばれた世相とうまくマッチして爆発的なヒットとなった。強力なリーダーシップを発揮して個性豊かなメンバーたちをまとめ上げ、クレージー・キャッツは日本の笑いに一時代を築いた。個人では、44年バラエティ番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」でヒッピー姿で叫ぶ“アッと驚く為五郎”のギャグが人気を呼び、映画シリーズにもなって主演。また、フジテレビの正月番組「新春かくし芸大会」での銅像役のコントもよく知られている。映画「馬鹿まるだし」「いいかげん馬鹿」「馬鹿が戦車でやって来る」「運が良けりゃ」「会社物語」などに主演、「運が良けりゃ」「会社物語」ではブルーリボン賞主演男優賞を受賞するなど俳優としての評価も高く、他の出演作に、映画「祭の準備」「人間の証明」「野生の証明」「キネマの天地」、ドラマ「水滸伝」「ふりむくな鶴吉」など。晩年は谷や宮川泰らと、ハナ肇とオーバー・ザ・レインボーを結成して音楽活動も続けた。
- 受賞
- 紫綬褒章〔平成3年〕 ブルーリボン賞主演男優賞(第17回・31回 昭41年度・63年度)「運が良けりゃ」「会社物語」 毎日映画コンクール男優主演賞〔平成1年〕「会社物語」,日本アカデミー賞会長特別賞(第17回)〔平成6年〕
- 没年月日
- 平成5年 9月10日 (1993年)
- 伝記
- 病室のシャボン玉ホリデー―ハナ肇、最期の29日間テレビの黄金時代幸せだったね、ハナちゃんクレージーキャッツ 55〜90 新装版 なべ おさみ 著小林 信彦 著野々山 葉子 著(発行元 文芸春秋文芸春秋扶桑社アドリブ ’08’05’94’93発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報