出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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ハリマン(William Averell Harriman)
はりまん
William Averell Harriman
(1891―1986)
アメリカの実業家、外交官。鉄道王E・H・ハリマンの子としてニューヨークに生まれる。エール大学卒業後、同族のハリマン商会や鉄道会社の役員を兼任。この一方、F・D・ルーズベルト政権期、全国復興局の行政官(1934~1935)、商務省実業諮問委・会長(1937~1940)を歴任。戦時期は武器貸与実施の特使(1941)、駐ソ大使(1943~1946)となり、大戦処理にかかわる重要国際会議に出席。G・F・ケナンとともに対ソ強硬論を説き、1946年駐英大使を経て国務長官に転じマーシャル・プランを推進、派欧移動大使、大統領特別補佐官、相互安全保障局長を歴任。1954年ニューヨーク州知事に当選するが、1958年N・ロックフェラーに敗れ再選を阻まれる。その後ケネディ、ジョンソン政権のもとジュネーブ協定(1962)、部分的核実験禁止条約(1963)、ベトナム和平交渉(1968)を担当した。民主党リベラル派の重鎮であった。
[牧野 裕]
ハリマン(Edward Henry Harriman)
はりまん
Edward Henry Harriman
(1848―1909)
アメリカの鉄道資本家。ニューヨークのウォール街の事務員から身をおこし、22歳で証券取引所の会員権を得て鉄道経営に関心を示し、1883年、イリノイ・セントラルの重役となり、手腕を発揮した。95年には大陸横断鉄道ユニオン・パシフィックに加わり(のち社長)、路線を拡大した。能率的な経営をする一方、株式買占め合戦やカルテル化の持株会社をつくるなどしたため、反トラスト的な革新主義の風潮のもとで非難された。
[長沼秀世]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ハリマン
Edward Henry Harriman
生没年:1848-1909
アメリカの著名な鉄道業者。14歳からニューヨークのウォール街で事務員として働き,株式取引所仲買人を経て,1883年イリノイ・セントラル鉄道の経営に参加する。93年恐慌のなかでユニオン・パシフィック鉄道の再建に成功し,のち社長となった。セントラル・パシフィック鉄道,サザン・パシフィック鉄道にも影響力を伸ばし,1901年にはシカゴ・バーリントン・クインシー鉄道の支配をめぐってJ.J.ヒルと対決した。さらに極東にも目を向け,05年南満州鉄道の買収を試みたが,日本政府の反対により失敗した。
執筆者:小沢 治郎
ハリマン
William Averell Harriman
生没年:1891-1986
アメリカの政治家。E.H.ハリマンの子で,鉄道経営にもあたったが,ニューディール政策のF.D.ローズベルトに起用され,34年に全国産業復興局役員となる。のち駐ソ大使(1943-46),商務長官(1946-48)などを経て,1955-59年ニューヨーク州知事となり,この間,大統領選に出馬した。特任移動大使(1961),国務次官(1963-65)にもなり,68-69年,ベトナム和平交渉の代表も務めた。米ソ関係に関する著書がある。
執筆者:長沼 秀世
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ハリマン
米国の鉄道業者。株式仲買人から鉄道業に進出,1893年ユニオン・パシフィック鉄道を手中に収め,後サザン・パシフィック等を統合,巨万の富を得た。1901年同業のJ.J.ヒルと支配権を争い証券恐慌を招いたが,のちに彼の方法はT.ローズベルト大統領に告発された。極東進出を図って南満州鉄道の買収を試みたがこれは失敗した。息子は米国外交官のW.A.ハリマン。
→関連項目桂=ハリマン協定
ハリマン
米国の実業家,外交官。E.H.ハリマンの子。父の事業を継いで鉄道経営に当たり,第2次大戦中F.ローズベルトに起用され駐ソ大使となった。戦後は商務長官,大統領特別顧問などを歴任,部分的核実験停止条約締結会議やベトナム戦争に関するパリ会談などに代表として出席。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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ハリマン
Harriman, William Averell
[生]1891.11.15. ニューヨーク
[没]1986.7.26. ニューヨーク
アメリカの政治家。エール大学卒業。アメリカの鉄道王 E.ハリマンの息子。初めハリマン商会社員として実業界に入り,1932年ユニオン・パシフィック鉄道社長。特に運輸関係業界で活躍,37年商務省実業委員会委員長。第2次世界大戦中は,大統領特別代理としてイギリス,ソ連との交渉にあたった。 48年マーシャル・プラン実施のための移動大使,51年相互安全保障本部長官を経て 55年ニューヨーク州知事。 59年5~6月ソ連訪問。 62年のジュネーブ協定では国務次官として主要な役割を果し,63年には部分的核兵器実験禁止条約についての交渉でアメリカ代表をつとめ,仮調印を行なった。 68年ベトナム和平パリ会議アメリカ首席代表をつとめた。 74年民主党外交政策特別顧問委員会議長就任。
ハリマン
Harriman, Edward Henry
[生]1848.2.25. ニューヨーク,ヘンプステッド
[没]1909.9.9. ターナー近郊
アメリカの実業家。鉄道金融資本家として西部の鉄道の再組織と統合に活動。イリノイ・セントラル鉄道から始り,ユニオン・パシフィック,サザン・パシフィックなどの鉄道を買収,再組織,支配した。ユニオン・パシフィックとシカゴを結ぶバーリントン鉄道の支配権をめぐってグレート・ノーザン鉄道会長 J.ヒルと争い,1901年の経済不況の原因をつくった。 30年代から外交,国政の重要ポストを歴任し,ベトナム和平交渉 (1968) の代表をつとめた W.A.ハリマンの父。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ハリマン(エドワード)
Edward Henry Harriman
1848~1909
アメリカの実業家。投機業で財をなし,1880年代に鉄道産業に進出,ユニオン・パシフィックなどシカゴ以西の主要な鉄道を傘下に収めた。日露戦争後東アジアへの進出を図り,南満洲鉄道の買収を計画したが日本の反対で挫折した。
ハリマン(アヴェレル)
William Averell Harriman
1891~1986
アメリカの政治家,外交官。父は鉄道王エドワード。財界をへて,第二次世界大戦中の駐ソ大使。戦後は商務長官,ニューヨーク州知事,国務次官,部分的核実験禁止交渉とベトナム和平交渉の代表。たびたび訪ソし,米ソ関係の安定化に尽力。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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ハリマン Harriman, Edward Henry
1848-1909 アメリカの実業家。
1848年2月20日生まれ。明治38年(1905)来日。日露戦争後の南満州鉄道の日米共同経営を提唱し,桂太郎首相との間で予備協定覚書を作成,桂・ハリマン協定とよばれた。外相小村寿太郎の強硬な反対により無効となった。1909年9月9日死去。61歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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ハリマン
Edward Henry Harriman
1848〜1909
アメリカの鉄道経営者
ウォール街の事務員をへて鉄道界にはいり,ユニオン−パシフィック鉄道会社社長となり,サザン−パシフィック鉄道の支配権を獲得。鉄道の独占をはかり,鉄道王ヒルとの闘争は有名。国外では世界一周鉄道を計画し,満鉄の共同管理を提唱したが,小村外相の反対で挫折した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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ハリマン
生年月日:1848年2月25日
アメリカの実業家
1909年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のハリマンの言及
【兵庫[県]】より
…さらに昭和40年代半ば以降山陽新幹線と中国自動車道が開通し,98年4月には明石海峡大橋が完成して東西の回廊的役割はいっそう強化されている。
[地域差の著しい自然環境]
県域の8割以上を丹波高地の一部,播但(ばんたん)山地,六甲山地などの山地,丘陵地が占め,まとまった平野は播磨灘沿岸に[播磨平野],大阪湾沿岸に大阪平野の一部があるにすぎず,日本海側には平野は発達していない。しかし,鳥取県境に氷ノ山(ひようのせん)(1510m)など標高1000mをこえる山が連なるほかは脊梁山地に当たる高い山脈はなく,播但山地を横切る生野峠,遠阪峠も標高350m内外と低い。…
※「ハリマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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