アメリカの外交官、外交評論家。ミルウォーキー生まれ。1925年プリンストン大学卒業。1926年に国務省入省、職業外交官としておもにソ連・東欧関係の職務を歴任。1933年に初代駐ソ大使ブリットとともにモスクワに赴任し、以後二等書記官、公使として何度かソ連に駐在した。1947年初代の国務省政策企画部長。同年7月外交評論誌『フォーリン・アフェアーズ』誌に匿名で発表した、いわゆる「X論文」(「ソ連の行動の源泉」)では、ソ連の内政の自由抑圧性と、対外膨張性を強調し、現実主義的対応としての「封じ込め」を提唱した。この主張はアメリカ国内の反ソ派を力づけ、対ソ強硬政策に理論的背景を提供することとなった。1952年5月駐ソ大使となったが、同年10月ソ連政府の退去要求で辞任。退官後はプリンストン高等研究所などでソ連研究や外交史の研究を深めた。1961~1963年駐ユーゴスラビア大使。ベトナム戦争に際しては米軍の早期撤兵を主張。レーガン政権の核軍拡による対ソ強硬政策などを批判した。冷戦終結後も、核兵器の削減や地球環境の危機への取り組みの重要性を強調、また晩年の2002年にもブッシュ政権の対外政策を批判するなど、活発な評論活動を続けた。
[遠藤雅己・村松泰雄]
『奥畑稔訳『ジョージ・ケナン回顧録』(1973・読売新聞社)』▽『ケナン著、佐々木坦・佐々木文子訳『核の迷妄』(1984・社会思想社)』▽『ケナン著、近藤晋一・飯田藤次他訳『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)』
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アメリカのジャーナリスト。オハイオ州に生まれ,早くから電信技手として働いた。当時シベリア経由でヨーロッパとアメリカを結ぶ大陸間電信線の架設計画が進行中で,1865年露米電信会社の募集に応じて,その現地調査に参加。生々しい体験をもとに,極東地方の原住民の生活と習俗を克明に描いた《シベリアのテント生活Tent-life in Siberia》(1870)を刊行した。85-86年にはニューヨークの《センチュリー》誌の求めで再びロシアを訪れ,91年に《シベリアと流刑制度Siberia and the Exile System》(2巻)を発表。この調査行にはツァーリ政府の非人間的政策を非難するコロレンコら多くの知識人や,500人以上の流刑囚が協力したといわれ,ケナンのこの報告は,同行した画家G.A.フロストの挿絵とともに,世界に大きな衝撃を与えた。日露戦争開始直後の1904年3月,AP通信社の特派員として来日。ほかにキューバ独立戦争を追った《戦うキューバCampaigning in Cuba》(1899)などの著書がある。G.F.ケナンは甥である。
執筆者:藤島 高志
アメリカの外交官,歴史家。1925年プリンストン大学を卒業し,国務省に入る。ベルリンで語学研修員としてロシア語を学ぶ。33年モスクワに赴任。第2次大戦後,アメリカ国務省の初代の政策企画委員会Policy Planning Staffの長として,冷戦期の対ソ外交戦略の策定に重要な役割を演じた。しばしば対ソ封じ込め戦略の立案者ともいわれるが,その後52年から53年にかけて駐ソ大使,61年から63年にかけて駐ユーゴスラビア大使を務め,西側有数のソ連通である。その間53年からプリンストン高等研究所の教授を務め,米ソ関係,アメリカ外交政策などについて水準の高い歴史的著述も多い。一方,鋭い現実感覚からアメリカ社会の当面する問題をとりあげ評論活動も行うリベラルな知識人の代表的なひとりであり,晩年は,環境問題,反核運動の分野でも多く発言した。
執筆者:細谷 千博
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1904~2005
アメリカの外交官,外交史家。1947年国務省政策企画室長時代にソ連に対する封じ込め政策を提唱して注目を集め,マーシャル・プランの実現と対日占領政策の転換に中心的役割を果たした。50年夏に国務省を離れ,その後駐ソ,駐ユーゴスラヴィア大使についた以外は,プリンストン高等研究所で外交史研究に従事。アメリカ外交の法律家的・道徳家的アプローチ,封じ込めの軍事化にきわめて批判的であった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…戦後アメリカは,いまだ明確な対ソ政策を確定できず,原子力管理や対ソ経済協力をとおして妥協する動きもみられたが,ソ連の東欧における支配圏の確立やイランおよび東地中海での行動から,〈世界のならず者〉というソ連イメージを固めていった。1946年2月スターリンが両体制の対立と戦争の不可避を説いた演説を行った直後,アメリカは,当時駐ソ米代理大使であったG.F.ケナンからソ連の対外膨張を分析した〈長文電報〉をうけとり,これらを契機として新たな対ソ方針の確定と国内での準備が進められていくことになった。チャーチルの〈鉄のカーテン(バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステにいたる線をいう)〉演説)をまじえて,ソ連との対立の不可避性が強調され,対ソ強硬姿勢が確立されてゆき,核の管理に関してもアメリカの核独占を維持する方向が出されていった。…
※「ケナン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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