1947年から開始されたアメリカの対西ヨーロッパ援助計画。正式にはヨーロッパ復興計画European Recovery Program(ERP)といい,同年6月5日,アメリカ国務長官G.C.マーシャルがハーバード大学における演説で,ヨーロッパ諸国に対して復興援助を供与する意志のあることを表明した。
この計画の立案にあたっては,国務・陸・海三省調整委員会(SWNCC)とG.F.ケナン主宰の国務省政策企画本部,W.クレートン国務次官が重要な役割を果たした。この計画がヨーロッパ諸国の主導性を尊重する形で提唱されたことから,6月末,英仏ソ外相会議が開催された。しかしソ連はこの復興計画を拒否し(のちに東欧諸国も同調),結局7月,ヨーロッパ経済協力委員会(CEEC)に参加した西欧16ヵ国(のち西ドイツとスペインが加盟し18ヵ国になった)によって復興計画が練り上げられることになった。たてまえとしてはソ連,東欧をも含んだヨーロッパ地域全体を包含する復興計画として提唱されたものの,同年3月のトルーマン・ドクトリンで明確にされた反ソ・反共主義を前提としたため,実際には西欧諸国の経済復興と経済統合を目的としてこの計画は推進されていった。西欧諸国が作成した復興計画に基づき48年4月アメリカ議会は対外援助法を可決し,援助管理機関として経済協力局(ECA)を設立した。他方,西欧諸国は援助受入れのためヨーロッパ経済協力機構(OEEC。OECD(経済協力開発機構)の前身)を設置した。この計画が終了する52年中ごろまでの総援助額は約130億ドルに達し,その大部分はイギリス,フランス,イタリア,西ドイツ,オランダ(援助額順)に供与された。
マーシャル・プランは戦争で疲弊した西欧諸国の経済復興に大いに貢献した反面,この援助額の約70%がアメリカの余剰農産物やその生産品の購入にあてられ,結果として合衆国の輸出市場を拡大し,西欧諸国に対する合衆国の影響力を強化した。また1949年以降,援助の大部分は軍事援助の色彩を帯び,北大西洋条約機構(NATO)成立への経済的基盤づくりがなされたことも見逃すことができない。
執筆者:藤本 博
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正式にはヨーロッパ復興計画European Recovery Program(ERP)。1947年6月アメリカ国務長官ジョージ・C・マーシャルが「ヨーロッパ諸国がヨーロッパの自立について合意するなら、アメリカはこれに援助を与える用意がある」と言明したのを契機に実施された、戦争で荒廃したヨーロッパの復興計画。
この計画の実施をめぐって同年6~7月パリでイギリス、ソ連、フランスの外相会議が開かれたが、それ以前、第二次世界大戦終結時点での軍事的力関係を反映してヨーロッパはすでに東西に分裂・対立し、冷戦も始まっていたため、ソ連と東欧諸国は結局、計画への参加を拒否した。
西欧16か国はマーシャル計画受け入れのため、ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を結成した。翌1948年4月トルーマン大統領は、53億ドルのヨーロッパ復興援助支出の権限を含む1947~48年度対外援助法に署名、援助管掌のための経済協力局(ECA)を設立。これがやがて相互安全保障法に基づく援助(MSA)に引き継がれる。51年末までに西欧諸国が受けた援助額は、当初予定された170億ドルよりもかなり少なく、総計110億ドルであった。
冷戦の激化から、援助の性格もしだいに軍事的色合いを強め、軍事ブロックNATO(ナトー)と表裏の関係で、MSAに受け継がれてこの性格はいっそうヨーロッパの再軍備に向けられるようになった。国別の援助額では、フランス、イギリス、イタリア、オランダの順となっているが、国民所得との割合でみれば、東西対決の接点であったオーストリア、次いでギリシア、以下がオランダ、トリエステ(現在はイタリア領でスロベニア国境に近い)、アイルランドなどの順であった。援助はおもに贈与grantと借款creditに区別され、前者はアメリカ余剰農産物や救援物資の購入にあてられ、後者は機械その他の生産手段の購入にあてられた。
マーシャル計画は、ヨーロッパ統合計画を進めるため参加諸国に平価切下げを実施させ、貿易自由化の促進、東西貿易の制限、被援助国財政へのアメリカ(のちIMF)の干渉に道を開いた。しかし、今日からみればマーシャル計画は、資本主義ヨーロッパの復興と統合、西欧通貨の交換性回復(1958)、ヨーロッパ共同体(EC)、やがてヨーロッパ連合(EU)成立にとって決定的な役割を果たしたことを否定すべきではない。
[陸井三郎]
『朝日新聞外報部訳編『マーシャル計画』(1949・朝日新聞社)』
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1947年6月にアメリカのマーシャル国務長官が発表したヨーロッパに対する経済援助計画。表向きはソ連を含むヨーロッパ全域を対象にするものであったが,ケナンら国務省政策立案者はソ連の勢力膨張に対する封じ込め政策の一環と位置づけ,ソ連,東欧の不参加を前提に計画を策定した。マーシャル・プランは西ヨーロッパ諸国の経済再建と共産主義勢力の後退に成功したが,東西ヨーロッパの分裂を決定的なものとし,冷戦は激化した。51年末に終了する援助総額は約130億ドルに達した。
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…アメリカはまず西欧の経済復興にのりだした。西欧の強化と同時に内側からの共産化を防止することがねらいであり,それは1947年6月,マーシャル・プランとなって示された。これに対してソ連は参加拒否の態度をとり,9月にはコミンフォルムを創設しそれに対抗した。…
※「マーシャルプラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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