ハンプトンコート(英語表記)Hampton Court

改訂新版 世界大百科事典 「ハンプトンコート」の意味・わかりやすい解説

ハンプトン・コート
Hampton Court

ロンドン南西郊,テムズ河畔にある旧イギリス王室宮殿。枢機卿ウルジーが建てた自邸(1515ころ起工)を,1526年国王ヘンリー8世に献上。30年代に王は西正面の南北翼屋,華麗なハンマー・ビーム天井をもつ大ホール,礼拝堂などを増築した。ジェームズ1世時代(1603-25),《欽定訳聖書》の刊行を決定したハンプトン・コート会議がここで開催された。また,ピューリタン革命期にはチャールズ1世が一時ここに監禁され,共和政期にはO.クロムウェル住いになったこともある。17世紀末レンがメアリー女王から大改修の命を受け,ベルサイユ宮殿から着想を得た壮大なバロック様式による計画を企てたが,女王の死去(1694)によりその一部が変更された上で実施され,東側のファウンテン・コート(1689-94)が完成。チューダー様式の西側部分に対し,東側は古典的な構成をとるこの建物は,宮殿としての使命をジョージ2世時代(1727-60)に終えた。現在は美術館として一般に公開され,ゴブラン織の収集,迷路庭園(1690)で知られる。
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百科事典マイペディア 「ハンプトンコート」の意味・わかりやすい解説

ハンプトン・コート

英国,ロンドンの南西郊外,テムズ河畔にある旧英国王室宮殿。現在は美術館となっている。1515年枢機卿T.ウルジーが建設,1526年にヘンリー8世の所有となり,ジョージ2世時代まで英国王の居住地として最大のものの一つであった。東の部分はチューダー様式の典型であり,17世紀末C.レンによって改築された。
→関連項目城館

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世界大百科事典(旧版)内のハンプトンコートの言及

【チューダー様式】より

…経済的繁栄に加えて大陸のルネサンスの気運が彼らの建築熱をあおり,大陸から芸術家を招来して,田園を背景とした居館の造営にあたらせた。その中でも異例の規模をもつものとして,ロンドン近郊テムズ川左岸のハンプトン・コートがある。イタリアの彫刻家ジュリオ・ダ・マイアーノの手になる豪奢なルネサンス装飾を施したこの館は,ルネサンス風室内装飾と,煉瓦積みの壁と煙突に表れたチューダー様式の混在を示している。…

※「ハンプトンコート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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