バシーの虐殺(読み)ばしーのぎゃくさつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バシーの虐殺」の意味・わかりやすい解説

バシーの虐殺
ばしーのぎゃくさつ

フランスの宗教戦争の発端となった1562年のユグノー(新教徒)虐殺事件。国王アンリ2世(在位1547~59)の不慮死後、バロア王朝は弱体化の方向に向かうが、シャルル9世(在位1560~74)の摂政(せっしょう)カトリーヌ・ド・メディシスはカトリックとユグノーの融和を求める寛容王令を相次いで布告、同年1月の王令ではユグノーの集会を許可するまでに至った。しかし、3月1日、狂信的なカトリックであるギーズ公軍隊が、バシーWassy(Vassy、現オート・マルヌ県)を通過する際、納屋にて礼拝中の当地のユグノーを殺戮(さつりく)するに及んだ。この虐殺の原因は明確でないが、以後30年近くにわたり展開されるフランス宗教戦争の幕開きを告げることとなった。

[志垣嘉夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バシーの虐殺」の意味・わかりやすい解説

バシーの虐殺
バシーのぎゃくさつ
Massacre de Vassy

1562年3月1日,フランスのバシー (現オートマルヌ県) で勃発した事件。この日,ギーズ公フランソアの軍勢プロテスタント 60名ほどを殺害し,ユグノー戦争への導火線となった。バシーは 91年にもカトリック同盟軍の略奪を受けている。

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