バラキレフ(読み)ばらきれふ(英語表記)Милий Алексеевич Балакирев/Miliy Alekseevich Balakirev

デジタル大辞泉 「バラキレフ」の意味・読み・例文・類語

バラキレフ(Miliy Alekseevich Balakirev)

[1837~1910]ロシア作曲家。グリンカのあとを継ぎ、ロシア国民楽派五人組指導者として活躍作品ピアノ曲「イスラメイ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「バラキレフ」の意味・読み・例文・類語

バラキレフ

  1. ( Milij Aljeksjejevič Balakirjev ミーリー=アレクセービチ━ ) ロシアの作曲家。ロシア国民楽派の中心人物。グリンカのあとを継ぎ、ムソルグスキー、ボロディンら五人組の指導者として活躍。代表作品は交響詩「ロシア」、「タマーラ」、ピアノ曲「イスラメイ」など。(一八三七‐一九一〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バラキレフ」の意味・わかりやすい解説

バラキレフ
ばらきれふ
Милий Алексеевич Балакирев/Miliy Alekseevich Balakirev
(1837―1910)

ロシアの作曲家。ニジニー・ノブゴロド生まれ。幼少よりピアノを学び、モーツァルト研究で知られた地主ウルイブイシェフのもとで音楽への造詣(ぞうけい)を深めた。1855年数学を専攻していたカザン大学退学ペテルブルグに出てグリンカに会い、音楽家としての志を固める。60年前後ムソルグスキー、キュイらと「五人組(新ロシア楽派)」を結成してその指導的役割を果たし、ロシア国民音楽の形成と普及に尽力。62年には古典崇拝のペテルブルグ音楽院に対抗して無料音楽学校を開設、グループの作曲家の新作やベルリオーズ、シューマンら西欧作品紹介の演奏会を催すなど、ロシア音楽界に大きな影響を与えた。標題的・絵画的表現に優れたものがあり、またロシア民謡に強くひかれ、ボルガ川流域やカフカス地方を訪れて民謡を収集、その成果が作品の大きな糧(かて)となっている。主要作品にはピアノのための東洋風幻想曲『イスラメイ』(1869)や交響詩『タマーラ』(1867~82)などがある。

[益山典子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バラキレフ」の意味・わかりやすい解説

バラキレフ
Balakirev, Milii Alekseevich

[生]1837.1.2. ニジニーノブゴロド
[没]1910.5.29. ペテルブルグ
ロシアの作曲家。 15歳で作曲を始めるが,カザン大学では数学を専攻し,1855年卒業。同年 M.グリンカに会い,音楽家を志すことを決意,またピアニストとしてクロンシュタットでデビュー。グリンカ死後は,A.ボロディン,C.キュイ,M.ムソルグスキー,N.リムスキー=コルサコフ五人組を結成。指揮者,民謡の収集家としても知られ,ロシア国民主義音楽を推進させた。代表作『イスラメ』 (1869) ,交響詩『タマール』 (82) 。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「バラキレフ」の解説

バラキレフ

ロシアの作曲家。ニジニイ-ノヴゴロドに生まれる。幼少から楽才を示し、貴族学校に通いながらピアノを学ぶ。1855年にペテルブルクへ渡り、グリンカやダルゴムィシスキーと出会う。バラキレフのもとにキュイ(5 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

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