日本大百科全書(ニッポニカ) 「バン・ヘイレン」の意味・わかりやすい解説
バン・ヘイレン
ばんへいれん
Van Halen
オランダ出身の兄弟、アレックス・バン・ヘイレンAlex Van Halen(1953― 、ドラムス)とエドワード・バン・ヘイレンEdward Van Halen(1955―2020、ギター)を中心としたアメリカのハード・ロック・バンド。1974年にデビッド・リー・ロスDavid Lee Roth(1954― 、ボーカル)とマイケル・アンソニーMichael Anthony(1954― 、ベース、ボーカル)を迎え、この4人をオリジナル・メンバーとして結成。1978年『炎の導火線』でアルバム・デビュー。ドゥービー・ブラザーズ等をブレークさせたテッド・テンプルマンTed Templeman(1944― )がプロデュースした同アルバムは、表情豊かなロスのボーカルと、疾走感溢れるエドワードの早弾きギターが注目を集め、またキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」のカバーの斬新さも手伝って、新人としては異例の好セールスを記録。以後、毎年ミリオン・セラー・アルバムを発表していたが、その人気はあくまでもアメリカ限定であった。そんなバン・ヘイレンが世界的な知名度と成功を獲得するようになったきっかけが、「今夜はビート・イット」でのマイケル・ジャクソンMichael Jackson(1958―2009)との共演、並びに1983年作のアルバム『1984』の大ヒットだった。シンセ・サウンドを大幅に導入した後者からは、シングル「ジャンプ」が全米No.1になった。順風満帆と思われたバンドだったが、1985年に看板ボーカリストのロスがソロ活動を志して脱退を宣言。
元モントローズのサミー・ヘイガーSammy Hager(1947― 、ボーカル)を後釜にして制作された『5150』(1986)で、彼らは初の全米チャート第1位を獲得。以後、『OU812』(1988)、『F@U#C%K』(1991)、『バランス』(1995)と、アルバムを出せばヒットが保証されていたものの、1996年、映画『ツイスター』のサントラに参加した直後、今度はヘイガーがバンドを脱退。ベスト盤を予定していたメンバーは、初代ボーカリストのロスを急遽呼び寄せ、『グレイテスト・ヒッツ』(1997)を完成。ロスのバンドへの完全復帰が噂されたが、結局は新曲2曲のみの参加にとどまり、3代目ボーカリストとして元エクストリームのゲーリー・シェローンGary Cherone(1961― )が加入。同ラインナップで1998年に『ヴァン・ヘイレンⅢ』を発表するも、決定的な評価は獲得できず、今度はシェローンがバンドを脱退。以後、恒常的なボーカリストの不在と、癌を発病したエドワードの療養が重なって、バンドは活動休止中。
冒頭でも触れたように、バン・ヘイレンのユニークさとは、エドワードの卓越したギター・テクニックと、初代ボーカリストのロスのキャラクターに負うところが大きかった。彼らのサウンドを語る際、避けて通れないのが、エドワードの特殊なギター奏法で、なかでもライト・ハンド(タッピング)と呼ばれる、右手の指でギターの弦を直接叩いて音を出す手法は、それまでのギター演奏ではかなわなかった、音程差の大きいフレーズを高速で奏(かな)でることを可能にし、後世のギタリストに絶大なる影響を及ぼした。さらにエドワードのギターの特徴として、いわゆる「泣きのギター」的な湿っぽい情緒を欠いた、非常にドライな高揚感を喚起させるところも目新しかった。もう一人の中心人物ロスについては、テクニックや音楽性以前にエンターテイナーとしての彼の資質に尽きよう。いわゆるオールド・ウェーブ的なハード・ロックが飽きられていた1980年代初頭、彼らが例外的に快進撃を続けられたのは、小難しいコンセプトやもったいぶったイメージとは一切無縁に、ひたすら享楽的な爆音装置としてバンドの精度を高めていったためであり、それを支えていたのがエドワードのギターとロスの能天気な性格だったのである。それが証拠に、ロス脱退後の作風は音楽的完成度が増したぶん、どこかノーマルな、ありきたりのハード・ロックに落ち着いてしまったところがあるのだ。
[木村重樹]