パタニ王国(読み)パタニおうこく

改訂新版 世界大百科事典 「パタニ王国」の意味・わかりやすい解説

パタニ王国 (パタニおうこく)

14世紀後半から1785年までマレー半島中南部の東岸,現在のタイのパタニPatani(Pattani)を中心として存在した王国。この地域は古くからインド方面と中国方面とのあいだの国際交通路の中継地点として重要であったが,パタニ王国が成立したのは,1351年に成立したタイのアユタヤ朝勢力がマレー半島に伸張したためであると考えられる。王国の成立とほぼ同時にイスラムが伝えられた結果,マレー半島で最も古いイスラム国家の一つとなった。王国はアユタヤ,中国,琉球などとの貿易を基礎として繁栄した。この間政治的にはアユタヤに服属していたらしいが,1584年から1624年までは2代にわたって女王が支配し,アユタヤとの関係が弱まった。アユタヤはたびたびパタニを征服しようとし,1629年には山田長政の率いる日本人部隊が派遣されたこともあったが,マレー人の国家であった南方ジョホール王国の影響が強く,アユタヤの試みは成功しなかった。のち1785年にタイのラタナコーシン朝の支配下に入るまで,王国はマレー系の支配者のもとにあった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「パタニ王国」の解説

パタニ王国(パタニおうこく)
Patani

マレー半島中部の東岸地域に14世紀後半から1785年まで存在したマレー系のイスラーム王国。マラッカ王国崩壊後,中国,琉球(りゅうきゅう),アユタヤ,ジャワなどの商人寄港地となり,16~17世紀には胡椒(こしょう)や金などの交易で繁栄した。16世紀末期にアユタヤの支配から脱し,その後17世紀中頃にかけて南方のパハンジョホールなどのマレー系王国と結んで勢力を拡大した。だが,1785年にはタイのバンコク朝の支配に服した。

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