ファランヘ(その他表記)Falange Española

改訂新版 世界大百科事典 「ファランヘ」の意味・わかりやすい解説

ファランヘ
Falange Española

1933年10月,プリモ・デ・リベラJosé Antonio Primo de Rivera(1903-36)によって創設されたスペインの政治的運動。ファランヘの語源ギリシア語のファランクスphalanx(重装歩兵の密集隊形)。ファランヘは,国家をスペインの統一を防衛し,すべてのスペイン人に唯一の運命をもたらす単位と考え,その基本原則は,(1)すべての党の解散,(2)民族,言語,文化の違いを乗り越えたスペイン国民の統一,(3)労働に対する全スペイン人の平等,(4)永遠の価値をもつ人間性の尊重,(5)キリスト教を尊重しつつ,国家と教会分離をはかる,(6)スペインの文化的・歴史的使命の復興,であった。

 ファランヘ創設に先立つ1931年8月,レドンドOnésimo Redondo(1905-36)を指導者として〈アクシオン・イスパニカ・カスティリャ評議会Juntas Castellanas de Acción Hispánica〉が結成され,〈唯一,偉大で自由なスペイン〉をスローガンとした。さらに同年10月,レデスマ・ラモスRamiro Ledesma Ramos(1905-36)が〈国民サンディカリスト行動隊Juntas de Ofensiva Nacional Sindicalista〉(略称JONS)を創設した。この新組織JONSはサンディカリスムの性格をもち,ヘーゲル哲学とナチズムの影響を受け,自らの運動を国民サンディカリスムと呼んだ。まもなく両運動はJONSという一つの名前で合併した。そしてファランヘとJONSは1934年2月に合併し,ホセ・アントニオを最高指導者とする政治運動〈スペイン・ファランヘと国民サンディカリスト行動隊FE y de las JONS〉となった。赤と黒の旗とカトリック両王の結合された矢のシンボルおよび運動の定義(国民サンディカリスム)はJONSから,国家論と〈立て,スペイン¡Arriba España!〉のスローガンはファランヘから与えられ,青シャツが制服に定められた。国民サンディカリスムは,社会正義に基づいて完全な農地改革を求め,階級的特権に反対した。一方,全体主義国家の色彩を打ち消すために,個人の尊重と人間の自由と精神的価値を強調した。また,イタリア・ファシズムの階級的労働組合(横割り)と異なり,縦割りの,つまり資本家から労働者までが含まれる労働組合をつくり,階級闘争の解決をねらった。労働者の方に優先的立場が与えられ,国家は調停者にすぎない。スペイン人は自然的な結社--家庭,自治体,労働組合--を通じて国家と政治に参加するのである。ファランヘの加盟者数は,1935年の初めころ743人(一説では5000人),36年にはスペイン自治右派連合の青年たちが加入したため,2万5000人になったといわれ,バリャドリードマドリードが中心であった。

 ファランヘは第二共和国末期(1935-36)に左派からの攻撃に対する報復と称して,街頭での実力行動,暴動に参加した。しかし,ホセ・アントニオ自身は暴力に反対し,マルクス主義でない国民的左派をつくろうと試みたようである。また彼はナチス・ドイツに対しては嫌悪感を抱き,ファシズムの影響を否定していたが,ムッソリーニから経済的援助を受けていた。彼は人民戦線内閣発足直後に逮捕され,36年11月処刑された。

 内乱中の37年,ファランヘは王政復古を求める伝統主義派(カルリスタ)と合併し,〈スペイン伝統主義ファランヘと国民サンディカリスト行動隊FET y de las JONS〉となった。この合併はフランコによって承認され,国家と教会の分離条項を削除するなどのイデオロギーおよび法律的基盤はセラノ・スニェルRamón Serrano Suñer(1901-2003)によって準備された。しかしこの合併は,すべてのファランヘ指導部とカルリスタが認めたわけでなく,この時以来,運動は〈国民運動〉と称され,フランコが〈国民運動〉あるいは唯一党FET y de las JONSの党首となり,新ファランヘはフランコ政権の支柱となった。フランコは新ファランヘのイデオロギーに従って労働憲章(1938),国家基本法(1958),国家組織法(1967)などを発布した。

 75年のフランコ没後,いくつかのファランヘ系集団は,おのおのが本来の思想を継承していると主張して争ったが,総選挙で敗北を喫し,ファランヘ主義といわれる小集団となった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ファランヘ」の解説

ファランヘ
Falange Española

1933年にホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラが創始した,スペインにおけるファシズム政党。34年2月,国家サンディカリスト攻撃評議会と合併統合。スペイン内戦下の37年4月,フランコは政党統一令により伝統主義者をこれに組み入れた。フランコ体制の政治的・社会的支柱となり,「国民運動」とも呼ばれた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のファランヘの言及

【スペイン】より

…それを契機に,アナーキストはもちろんのこと,社会党内においても過激派が台頭して,力と力による対決の様相が深まっていった。他方,右派の中にも,暴力には暴力でこたえることを辞さないファランヘ党が誕生した。ファランヘ党は当初少数政党にすぎなかったが,34年2月に他のファシスト的グループ国民サンディカリスト行動隊(ホンスJONS)と合併して以来,右派陣営の一角に重要な位置を占めるようになった。…

【ファシズム】より

…30年代の世界恐慌(大恐慌)は,そうした動きをさらに世界中に広める役割を果たした。 独伊両国のほかには,第3の強力なファシズム運動であったルーマニアの〈鉄衛団〉や,ハンガリーの〈矢十字党〉,イギリスのモーズリーOswald Ernald Mosley(1896‐1980)の〈イギリス・ファシスト同盟〉,フランスのドリオの〈フランス人民党〉,スペインの〈ファランヘ党〉などが知られている。日本では,ファシズムの思想やそれに基づく一定の動きはあったが,〈下からの〉大衆運動としてのまとまった展開はみられなかった。…

※「ファランヘ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android