改訂新版 世界大百科事典 「フィリピンアメリカ戦争」の意味・わかりやすい解説
フィリピン・アメリカ戦争 (フィリピンアメリカせんそう)
1899-1902年にフィリピンとアメリカの間で戦われた戦争。1896年8月以来フィリピンではスペインの植民地支配を打倒する独立革命が進行していた。おりしもキューバでも95年2月からスペインに対する独立革命が始まっていた。キューバに莫大な経済権益をもつアメリカは,キューバ独立を大義名分に98年4月25日スペインに宣戦布告し(米西戦争),フィリピン情勢にも介入した。アメリカは当初フィリピン独立運動支援を唱えたが,同年5月1日マニラ湾を占領したアメリカ軍は,革命軍との連帯を拒否して8月13日に単独でマニラを開城,9月下旬よりスペインと講和条約交渉に入り,12月10日両国間でパリ条約に調印した。この結果アメリカはスペインからフィリピンの領有権を獲得した。しかしこの間に革命軍は自力でルソン島からビサヤ諸島にいたるスペイン支配地を解放し,98年9月には革命議会を設立,99年1月にはマロロス憲法を発布して,第1次フィリピン共和国(マロロス共和国)を樹立していたので,こうしたアメリカの背信的侵略を許すことができなかった。
99年2月フィリピン革命政府とアメリカとの間に戦闘が開始された。近代的装備に勝るアメリカ軍は破竹の勢いで革命軍の防衛線を突破し,全島に侵略の歩を進めた。99年3月末首都マロロスが陥落し,11月には革命政府大統領アギナルドが北部ルソン山岳地帯に追い込まれて,全軍的指揮能力を失った。だがアメリカにとっての苦戦はむしろこの時から始まった。各地で農民たちがそれぞれの指導者を中心に,まことに執拗なゲリラ戦を展開するにいたったからである。しかし有産階級の功利的妥協や,アギナルドの逮捕,降服などによって,アメリカの占領体制は日をおって進んだ。99年3月には早くもJ.G.シャーマンを委員長とする第1次フィリピン委員会が到着,占領行政の実施と関連の諸調査を開始した。1901年7月には軍政から民政への移行が発表され,W.H.タフトが初代民政長官に就任した。そして02年7月4日,アメリカはフィリピン平定作戦終了を宣言,02年7月1日にアメリカ議会を通過した〈フィリピン組織法〉に基づいて,全面的なフィリピン植民地統治を開始した。しかし南タガログ地方,東ビサヤ地方,南部フィリピンのイスラム地域では13年ごろまで,アメリカの植民地支配に抵抗する戦いが継続した。
執筆者:池端 雪浦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報