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文芸用語。日清(にっしん)戦争(1894~95)後、観念小説や深刻小説が人情、世間の特殊相誇張に傾くのをみて、『国民之友』は1896年(明治29)10月号に「社会小説出版予告」を掲げ、「社会、人間、生活、時勢といへる題目」の創作化による「文壇革新」を唱えた。文壇、論壇の広範な反応を整理して『早稲田(わせだ)文学』が、労働社会、下層社会の真相を写し、広く政治、宗教にわたる大型の社会小説像を描き、金子筑水(ちくすい)の『所謂(いわゆる)社会小説』(1898)がこの論を進めた。内田魯庵(ろあん)の『くれの廿八日』(1898)が社会小説の代表作として迎えられたが、『社会百面相』(1902)の政界風刺は政治家主体批判を欠き、近代政治の核心をつかなかった。金子春夢(しゅんむ)『清水越(しみずごえ)』(1896)も、人間像の不鮮明な大型小説に終わった。社会小説観は小栗風葉(おぐりふうよう)『政駑(せいど)』(1899)、後藤宙外『腐肉団(ふにくだん)』(1899)に継承され、徳冨蘆花(とくとみろか)の『不如帰(ほととぎす)』(1898~99)、『思出の記』(1900~01)、『黒潮』(1902)に総合され、社会主義小説へと展開した。
[中村 完]
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…邦訳《罪のかなた》)など,18編の小説を晩年の20年間に集中的に書いた。これらは〈社会小説Gesellschaftsroman〉と称されるもので,貴族社会が内部崩壊し,新興の市民社会の時代へ移りゆく姿が,そのいずれにもくみせぬ冷徹な観察者の目で眺められ,人間の弱さにも理解を持つ真のリアリストの立場から描かれている。そして登場人物の会話を中心に据え,それによってその人物の性格や人生観に至るまで描き込む小説手法は語りの芸術の最高峰とされ,次代のトーマス・マンに継承された。…
※「社会小説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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