フェラー(読み)ふぇらー(英語表記)Robert (Bob) Feller

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェラー」の意味・わかりやすい解説

フェラー
ふぇらー
Robert (Bob) Feller
(1918―2010)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のクリーブランド・インディアンスで、1936年から、3年半の兵役を挟んで、1956年まで投手としてプレー、「ラピッド・ロバートRapid Robert」(快速球ロバートの意)というニックネームがつけられるほど速いボールを武器に、通算7回奪三振王に輝いた。日本では「火の玉投手」とよばれている。

 11月3日、アイオワ州のバンミーターに生まれる。高校在学中に地元バンミーターでセミプロチームの一員としてプレーし、1936年、インディアンスと契約。高校を一時休学して17歳で大リーグにデビューした。同年8月23日、対セントルイス・ブラウンズ(現、ボルティモア・オリオールズ)戦で三振15を奪い、9月13日の対フィラデルフィア・アスレチックス(現、オークランド・アスレチックス)戦では当時ディジー・ディーンDizzy Dean(1910―1974)がもっていた1試合17奪三振の大リーグ記録に並んだ。翌1937年は右腕を痛めたこともあって伸び悩んだが、その後スライダー切れ味も増し、1938年から4年連続で奪三振王に輝いた。また、1939年から1941年までは最多勝のタイトルも獲得した。1940年には史上初の開幕戦ノーヒットノーランを達成した。1942年から1945年シーズン終盤までは兵役(海軍)に服すためにプレーを中断したが、復帰した翌1946年には26勝(15敗)で最多勝、リーグトップの奪三振348を記録した。同年4月30日の対ニューヨーク・ヤンキース戦では2回目のノーヒットノーランも達成した。1948年には19勝15敗でリーグ優勝に貢献、ワールド・シリーズでは勝利をあげられなかったが、インディアンスは優勝を果たした。1951年7月1日の対デトロイト・タイガース戦で、1点を失ったが無安打に抑え、初めて無安打試合を3試合達成した投手になった。オールスター・ゲームには8回出場している。

 実働18年間の通算成績は、登板試合570、投球回3827、266勝162敗、防御率3.25、奪三振2581、完投279、完封44。獲得したおもなタイトルは、最多勝利6回、最優秀防御率1回、最多奪三振7回。1962年に野球殿堂入り。

[出村義和]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「フェラー」の意味・わかりやすい解説

フェラー
William Feller
生没年:1906-70

アメリカの数学者。ユーゴスラビアザグレブに生まれ,1925年ザグレブ大学を卒業,26年,20歳にしてドイツゲッティンゲン大学から学位を授与される。28年キール大学応用数学研究所長に任ぜられたが,33年にはストックホルムに移り,数理統計学研究所,実験生物学研究所に籍をおいた。39年アメリカに移住し,ブラウン大学コーネル大学,50年からはプリンストン大学教授となった。この間主として確率論の研究に専念し,極限定理,マルコフ過程,確率過程論の応用についてすぐれた業績を残したが,なかでも一次元拡散過程の解析的研究は有名である。《確率論とその応用》は解析学に基礎をおく新しい確率論の構築を目ざした労作で,教科書として,研究者の座右の書として多くの人々に親しまれている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「フェラー」の意味・わかりやすい解説

フェラー

アメリカのプロ野球選手。右投右打の投手。メジャーリーグ,インディアンスで18シーズン在籍。通算成績266勝,奪三振2531。剛速球の投手で,日本では〈火の玉投手〉と呼ばれた。62年,アメリカ野球殿堂入りを果たした。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android