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黒死病 こくしびょうBlack Death

翻訳|Black Death

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黒死病
こくしびょう
Black Death

14世紀中~後期,全ヨーロッパに広がった伝染病。腺ペスト (→ペスト ) であろうと推定される。 1346年の春,クリミア半島の黒海沿岸カファ (フェオドシヤ ) で,タタール人に包囲されたイタリア商人の間に発生したのが最初の記録。黒海沿岸から東地中海を経て,まず南ヨーロッパに蔓延しイタリア半島で猛威をふるった。 1348年,百年戦争期のフランス一帯に広がり,このためイギリス,フランス両軍は休戦協定を更新した。同年夏イングランド西部諸県に広がり,1349年末までにはイングランド全域,次いで北ヨーロッパ,さらに東ヨーロッパに広がり,1351年まで流行した。 1361~63年イングランドで再流行し,特に幼児の死亡率が高かった。さらに 1369~71年,1374~75年,1390年,1400年にも発生した。黒死病の流行によって,フランスでは封建貴族軍の戦力が低下し,農民の貢税負担が増大した結果,ジャックリーの乱をはじめとする農民反乱が起こった。イングランドは百年戦争の戦場にはならなかったものの,黒死病が国民を疲弊させた。黒死病による死亡者の割合は諸説あるが,ヨーロッパの人口のおよそ3分の1に達したと推定される。

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デジタル大辞泉の解説

こくし‐びょう〔‐ビヤウ〕【黒死病】

死体が、皮下出血で黒いあざだらけになるところから》ペストのこと。

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百科事典マイペディアの解説

黒死病【こくしびょう】

14世紀中葉にヨーロッパを襲った腺ペストを代表とする疫病の通称。患者の皮膚が皮下出血のために黒ずんで見えるのがこの名の由来。1346年クリミア半島の黒海沿岸カッファに発生したのが最初の記録。
→関連項目ペスト

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大辞林 第三版の解説

こくしびょう【黒死病】

〔全身の皮膚が内出血のために紫黒色になって死亡することから〕
ペストの別名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黒死病
こくしびょう
Black Death

14世紀中ごろヨーロッパに蔓延(まんえん)したペストの俗称。死亡者の皮膚が黒ずんでみえたことからの呼称と思われる。中央アジアのイシク・クリ湖の周辺に1330年代に発生したペストが最初の発病であったといわれる。それが黒海沿岸に達し、クリミア半島でまず流行し、ジェノバの貿易船がペストの宿主(クマネズミ)に乗り物を提供した。1347年10月シチリア島のメッシーナに発生した病気は翌48年6月までに、パリを鋭角の頂点として、ベネチア、ボルドー、コルドバを結ぶ三角地帯に伝播(でんぱ)した。年末にかけて、ノルマンディー、イングランド南部が死の影の中に入った。1349年に病気は三角地帯の外周部に広がり、50年にはバルト沿海に及ぶ。
 ペストは腺(せん)ペストが主体で、肺ペストも一部観察された。腺ペストの決定的症状はリンパ腺(節)の腫瘍(しゅよう)(腫脹(しゅちょう))である。「まず病気が現れるのは、股(また)の付け根とかわきの下の腫瘍であり、その大きさは並のリンゴほど、あるいは卵ほど。大きいのも小さいのもある。民衆はこれをガボチオーロとよんでいる」とボッカチオも解説している。被害の程度は地域差が大きかった。ミラノ侯領、ガスコーニュ、中央ドイツ、フランドルなどでは死亡率は低く、トスカナ、ラングドック、カタルーニャなどでは高い。総じて、年代記家フロワサールの「3人に1人」という証言が妥当しよう。当時の医学に病理学的知識は欠落していたものの、衛生と隔離の勧告はかなりの成果をあげた。フランドルのトゥールネーの市当局は、教会での集会さえ禁止し、死者は野外に葬らせた。ちょうど南ドイツに発生した鞭(むち)打ち苦行団の行列がパニック感をあおるということはあったが、フランス王政府はこの団体の侵入を国境で阻止している。また、アルプス以北の各地にユダヤ人狩りが発生したが、ローマ教皇クレメンス6世は禁令を発し、教会領に逃げ込むユダヤ人を保護させている。当然、社会的パニックが起こったはずだと思い込んではならない。この災禍に立ち向かった人々の努力を観察する視線が必要と思われる。3人のうち2人も生き残ったともいえるのである。
 14世紀に入り、ヨーロッパの人口と経済は下げ潮の気運にあった。それにこの落ち込みである。領地経営は破産し、土地所有のシステムが崩れた。労働力が不足し、賃金と物価は高騰する。輸送のシステムは乱れ、穀物市場は閉鎖された。しかし、すでに不調の経済と社会であっただけに、人々はいわばこの事態を必然のものと受け止め、これを乗り切ろうとする意欲を心に固めたといえる。黒死病以後、「死の舞踏」という文学、芸術の主題に表れたように、死のイメージと無為の感情が人の心を支配した。末世感覚である。しかし、その死へのこだわりは、また現世への飽くなき執着を意味してもいたのである。[堀越孝一]
『村上陽一郎著『ペスト大流行――ヨーロッパ中世の崩壊』(岩波新書)』

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世界大百科事典内の黒死病の言及

【イギリス】より

…戦争は15世紀半ばまで断続的に継続する。この間イングランドでは14世紀半ば黒死病が流行して,全人口の約1/3ないし1/4の人命を奪い,さらに同世紀後半にはウィクリフの教会改革運動に起因する動揺やワット・タイラーの大農民一揆などがおこって,社会不安がいっそう増大した。1399年貴族間の争いの結果王位はランカスター家に移り,15世紀前半にはそのヘンリー5世がフランス王を称するなど,対フランス戦争は一時有利に展開したが,結局1453年カレーのみを残して大陸の領土のすべてを失うことによって百年戦争は終結した。…

【ペスト】より

…ペストは今でも日本の法定伝染病の一つに数えられてはいるが,実際には1926年を最後に国内では現在まで患者の発生がまったくみられず,この病気の存在さえもほとんど忘れられようとしている。別名を〈黒死病〉というが,重症になって敗血症をきたすと全身各所に暗紫色の斑点が現れ,皮膚が黒ずんでみえたのでこの名前がつけられた。世界的にもこの疾患の発生は著しく減っているが,アジア,アフリカ,アメリカなどの温帯,亜熱帯になお患者が発生し,決して消滅したわけではない。…

【レバント貿易】より

…13世紀後半にジェノバ,フィレンツェ,ベネチアなどのイタリア都市で製造された金貨は国際的な決算手段として広く利用され,とくにベネチアのドゥカート金貨はイスラム世界へ浸透したといわれる。1348‐49年の〈黒死病〉はレバント貿易にも大きな影響を与えた。労働力不足を補うために地中海,黒海の奴隷貿易はむしろ活況を呈したといわれているが,全体としては購買力の衰退とともに取引量も減少し,イタリア,南フランス,カタルニャの商人たちは互いに激しく争った。…

※「黒死病」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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