改訂新版 世界大百科事典 「フリン」の意味・わかりやすい解説
フリン
Errol Flynn
生没年:1909-59
アメリカの映画俳優。ハリウッドきってのプレーボーイ(〈色魔〉といわれた)として知られた美男スターで,戦前の海賊映画をはじめとするチャンバラ活劇のヒーローであった。タスマニアに生まれ,オーストラリアとイギリスの学校でたびかさなる放校処分をうけ,15歳のときから探検家を志してシドニーやニューギニアを転々とし,1933年,オーストラリアのセミ・ドキュメンタリー映画に出演したのがきっかけでイギリスに渡り,ワーナー・ブラザースのロンドン支社製作のB級ミステリー映画の主役を演じてから,35年にハリウッド入りした。マイケル・カーティス監督の《海賊ブラッド》(1935)にロバート・ドーナットに代わって起用されたのが成功し,〈ハンサムな活劇スター〉として人気を得る。つづいてカーティス監督の《進め竜騎兵》(1936),《ロビンフッドの冒険》(1938),《シー・ホーク》(1940)などで人気の頂点に達し,〈マネー・メーキング・スター〉のベストテンにも入り,その後もラオール・ウォルシュ監督の《壮烈第七騎兵隊》(1941),《鉄腕ジム》(1942)などで面目を保つが,スクリーンの外では〈ハリウッドのカサノバ〉と称されてスキャンダルのヒーローとなり,飲酒と薬物常用も災いして40年代の後半には衰退の道をたどる。イギリスその他でつくった作品もことごとく失敗し,再起を期して自費を投じ,《聖衣》(1953)に次ぐシネマスコープ作品を意図したジャック・カーディフ監督の《ウィリアム・テル》も資金不足で未完に終わった。
50年代には完全にスターの地位を失い,ヘンリー・キング監督の《陽はまた昇る》(1957)に脇役で出演,ジョン・ヒューストン監督の《自由の大地》(1958)に出演したのち,みずから製作(共同),脚本,ナレーションを担当し,フィデロ・カストロを激怒させたと伝えられたセミ・ドキュメンタリー映画《キューバン・レベル・ガールズCuban Rebel Girls》(1959)が最後の作品になった。心臓発作のため49歳で死亡。
死後(1959)に出版された自伝については多くの疑問が指摘されているが,戦時中はナチス・スパイの協力者であり,アメリカとイギリスに対する反逆者であったことが,ワシントンの公文書保管所にあるFBI,CIAその他の報告書で立証されているという。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報