デジタル大辞泉
「ブラキストン」の意味・読み・例文・類語
ブラキストン(Thomas Wright Blakiston)
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ブラキストン
Thomas Wright Blakiston
生没年:1832-91
幕末に来日したイギリス人貿易商,博物学者。正しくはブレーキストン。イギリスのハンプシャー州リミントンに生まれる。陸軍士官学校を卒業し,軍人となる。ロッキー山脈,長江(揚子江)上流を探検した後,1862年(文久2)箱館に来て,84年まで滞在した。ブラキストンは商売の余暇に,北海道,南千島,本州の鳥の採集調査を行い,日本の鳥の分布上,本州と北海道の間の津軽海峡が,動物学的境界線であると考えた。このことを1880年に東京の日本アジア協会例会で発表,さらに83年に,同協会例会で再度発表した。この境界線は,工部大学校お雇い地震学教師J.ミルンの提案によりブラキストン線(動物地理区)と呼ばれることになった。
執筆者:矢部 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ブラキストン
没年:1891.10.15(1891.10.15)
生年:1832.12.27
幕末に来日したイギリス人実業家,鳥類研究者。ハンプシャー州の貴族の出。元軍人でクリミア戦争にも参加。文久3(1863)年から明治16(1883)年の離日まで,函館で製材業,対清・ロシア貿易に従事した。箱館戦争の際には日本人住民の人命,財産の保護に努め,上水道,桟橋の設計,都市近代化の建言,天然氷の製法指導などでも地元に貢献した。北海道,南千島での探検をはじめ,日本各地で鳥類を採集し,その成果はプライアーとの共著『日本鳥類目録』(1878,82,のち84年同名の単独著刊)として日本の鳥類研究に大きく寄与するとともに,津軽海峡が北アジアと中部アジアの動物分布上の境界線であるとの指摘となった(ブラキストン線)。函館での気象観測は日本での測候の先駆けでもある。<著作>『蝦夷地の中の日本』<参考文献>弥永芳子「トーマス・W・ブラキストン伝」(『蝦夷地の中の日本』付篇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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ブラキストン Blakiston, Thomas Wright
1832-1891 イギリスの貿易商,博物学者。
1832年12月27日生まれ。文久2年(1862)箱館(はこだて)にきて,製材業,貿易商をいとなむ。かたわら北海道をはじめ各地を探検。鳥類を調査,収集して,明治13年プライアーとの共著「日本鳥類目録」をあらわす。16年津軽海峡が動物学的境界線(ブラキストン線)であると発表。17年帰国。1891年10月15日アメリカで死去。58歳。ハンプシャー州出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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ブラキストン
生年月日:1832年12月27日
イギリスの軍人,動物学者
1891年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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