ブリソ(読み)ぶりそ(その他表記)Jacques-Pierre Brissot

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブリソ」の意味・わかりやすい解説

ブリソ
ぶりそ
Jacques-Pierre Brissot
(1754―1793)

フランスの文筆家、政治家。ジャーナリストとして活躍、筆禍で獄中生活ののち渡米(1788)。帰国後「黒人友の会」をつくって活動、1789年革命が起こると『パトリオット・フランセ』紙を創刊。左寄りの論調で名をあげ、1791年には立法議会に選出され、ジロンド派指導者となる。外交委員会を牛耳(ぎゅうじ)って開戦を推進したが、戦局はかんばしくなく、国民公会ではモンターニュ派山岳派)と対立してブルジョア的利益を守ろうとした。国王裁判やデュムーリエの裏切りで進退窮まり、1793年6月2日権力の座を追われた。亡命を企てたがムーランで捕らえられ、パリに連れ戻されて革命裁判を受け、10月に処刑された。

[樋口謹一]

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改訂新版 世界大百科事典 「ブリソ」の意味・わかりやすい解説

ブリソ
Jacques Pierre Brissot
生没年:1754-93

フランスの政治家。シャルトル近くの小村に料理店主の子として生まれる。フランス革命前から文筆家として活動。1789年に新聞《フランスの愛国者》を発刊して人気を博し,91年には立法議会,92年には国民公会の議員に選出された。91年のシャン・ド・マルス事件では国王退位請願書の起草にあたり,91年末から92年初めにかけてオーストリア,プロイセンに対する開戦論を展開し,フランスを戦争に突入させた。彼の立場は,自由主義経済を信奉する穏和な共和主義ブルジョアジーの利害を擁護することにあり,ロランなどとともに当時はブリソ派,のちにジロンド派と称された集団を構成し,共和運動を指導した。しかしジャコバン派との対立激化とともに,民衆支持を失い,93年6月国民公会を追放され,逮捕・処刑された。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブリソ」の解説

ブリソ
Jacques-Pierre Brissot

1754~93

フランス革命の指導者。ジロンド派首領立法議会国民公会議員。1791~92年冬,ロベスピエールと開戦の是非をめぐり対立,これはジロンド派山岳派の対立に発展した。93年6月2日の蜂起により公会を追われ刑死

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世界大百科事典(旧版)内のブリソの言及

【ジロンド派】より

…フランス革命中に立法議会の左翼,国民公会の右翼を占めた政治グループ。ブリソ,ベルニオー,イスナール,コンドルセ,ガデ,ジャンソネなどの議員や内務大臣ロランを主たる指導者とし,大港湾都市の銀行家や大商人の利益を代表するブルジョア共和派。革命当時はブリソ派とかロラン派といわれたが,ジロンド県出身の議員が多いことから19世紀になってジロンド派とよばれるようになった。…

※「ブリソ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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