フランスの政治家。第2次世界大戦でフランスがドイツに敗れた当時,ウール・エ・ロアール県知事であったが,占領軍との協力をよしとせず,ビシー政府により休職扱いにされ,1941年秋ひそかにロンドンに脱出する。そこでド・ゴール将軍にフランス国内レジスタンスの重要性を説き,レジスタンス諸勢力との接触およびその統一の使命を帯びて,42年初頭ふたたび国内に潜入し,ビシー支配地域においてレジスタンスの有力諸組織を結合した統一レジスタンス運動(MUR)を形成した。さらにドイツ軍占領下の北部の諸運動や諸政党をも結集したレジスタンス全国評議会(CNR)の組織化に成功し,その第1回会合が43年5月27日パリで行われ,彼はその初代議長となった。6月21日,リヨン郊外でゲシュタポに逮捕され,ドイツへの移送途次に死去,〈レジスタンスの統一者〉として知られた。
執筆者:加藤 晴康
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…急進党は40年6月の敗戦によって分裂,一部はビシー政府に協力し,一部はレジスタンスに参加した。全国抵抗評議会の初代議長ムーランJean Moulin(1899‐1943)は急進党員であり,マンデス・フランスらはド・ゴールに協力した。しかし共産党,社会党,人民共和派3党が支配した解放直後は,第三共和政への批判的空気が強く,第四共和政憲法案に反対した急進党は最初の総選挙で惨敗した。…
…急進党は40年6月の敗戦によって分裂,一部はビシー政府に協力し,一部はレジスタンスに参加した。全国抵抗評議会の初代議長ムーランJean Moulin(1899‐1943)は急進党員であり,マンデス・フランスらはド・ゴールに協力した。しかし共産党,社会党,人民共和派3党が支配した解放直後は,第三共和政への批判的空気が強く,第四共和政憲法案に反対した急進党は最初の総選挙で惨敗した。…
※「ムーラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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