日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルクハルト」の意味・わかりやすい解説
ブルクハルト
ぶるくはると
Jakob Burckhardt
(1818―1897)
スイスの歴史家、文化史家。バーゼルの新教派牧師の子に生まれ、最初神学を学んだ。1839年秋以降ベルリン大学で歴史学を学び、43年論文「カール・マルテル」Karl Martelで博士の学位をとった。ベルリン時代には歴史家ランケと美術史家クーグラーFranz Theodor Kugler(1808―58)の指導を受け、多大な影響を受けた。バーゼルに戻って教授資格をとり、45年バーゼル大員外教授。47年夏、師クーグラーの『美術史綱要』の増補改訂のためにベルリンに行き、その前後の時期に二度ローマに滞在。48年から55年までバーゼルで講義活動をし、そのなかから彼の最初の主要著作『コンスタンティヌス大帝時代』Die Zeit Konstantins des Großen(1853)が生まれた。美術史上の傑作といわれる『チチェローネ』(1855)は、1853年3月から約1年間イタリア各地を巡った経験を踏まえて、イタリアの美術作品の鑑賞手引書の役割を果たした。55年秋より新設されたチューリヒの連邦工業大学美術史講座に招かれ、文学者ゴットフリート・ケラーと親交を結んだ。58年から93年までバーゼル大学の正教授として活躍し、一大傑作『イタリア・ルネサンスの文化』(1860)を生んだ。この書によって、イタリアの地における近代世界の誕生を示し、個性的人間のうごめきと芸術作品としての国家を描いた。『イタリア・ルネサンスの歴史』Geschichte der Renaissance in Italien(1867)は建築芸術を対象に体系的叙述をなしたものであるが、これ以後97年に死ぬまで、彼は著書の発表をしなかった。82年にランケの後任としてベルリン大学に招かれたが、バーゼルにとどまった。死後、弟子たちにより多数の遺稿が発表された。代表的なものに『ギリシア文化史』(1898~1902)、『世界史的省察』(1905)などがある。彼は楽観的な進歩信仰を生む発展概念を退け、できごとの発展史的経過を重視せず、没時間的認識により静的な画像をとらえ、類型的なもの、反復するものを研究・叙述の中心に据えた。
[森田安一]
『柴田治三郎訳『イタリア・ルネサンスの文化』上下(中公文庫)』▽『藤田健治訳『世界史的諸考察』(1981・二玄社)』