ブレダ宣言
ぶれだせんげん
Declaration of Breda
1660年4月、イギリスのチャールズ2世が、王政復古に先だって、亡命先のオランダで発し、復位の条件を提示した宣言。ピューリタン革命の行き詰まりによって王政復古が不可避となったこの年、チャールズは亡命地のブレダからこの宣言を発し、復位後は、革命中の国王に対する犯罪には大赦を与えること、信仰の自由を保障すること、革命中の所領の売買については議会で善後策を講ずること、兵士の未払い給与の支給を保障すること、というきわめて寛大な条件を提示した。開会中の仮議会はただちにこれを受理し、王政復古が実現した。しかし王政復古後、約束されていた重要事項のいくつかは空文化された。
[大久保桂子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ブレダ宣言
ブレダせんげん
Declaration of Breda
王政復古の条件を提示するためにイングランドのチャールズ2世が,1660年4月オランダのブレダで発した宣言。清教徒革命中の言動に対する大赦 (議会により例外とされる者は除く) ,信仰の自由,革命中に購入された土地財産への保証,軍隊の未払い給与の支払いを約した。仮議会はこの条件を入れてチャールズを迎えることに決め,王政復古が実現した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ブレダ宣言(ブレダせんげん)
Declaration of Breda
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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ブレダ宣言
ブレダせんげん
Declaration of Breda
1660年4月,イギリス王チャールズ2世がオランダのブレダで発した宣言
王政復古に際し,ピューリタン革命関係者の大赦,信仰の自由,王領・貴族領で革命中売却された土地の新所有者に対する所有権の承認,軍隊の未払い給料の支払いなどを約した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のブレダ宣言の言及
【王政復古】より
…この護国卿政権の崩壊と軍隊の内部分裂によって国内は無政府状態となったが,スコットランド駐留軍司令官モンクが兵を率いてロンドンに入り,長期議会を復活させ,亡命中のチャールズを迎えるための仮議会の召集を決議させた。いっぽうチャールズは〈ブレダ宣言〉を発表して,王政復古の条件として,革命中の言動の大赦,信仰の自由の保障,土地移動の確認,兵士の未払い給与の支払いの諸点を約束した。仮議会はただちにこれを受諾し,60年5月チャールズは熱烈な歓迎の中をロンドンに入って戴冠式をあげ,ここに王政復古がなった。…
※「ブレダ宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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