清教徒革命(読み)せいきょうとかくめい(英語表記)Puritan Revolution; Civil War

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

清教徒革命
せいきょうとかくめい
Puritan Revolution; Civil War

ピューリタン革命とも呼ばれる。 1640~60年のイギリスの市民革命。独立派長老派などの清教徒 (ピューリタン。→清教主義 ) が中心勢力であったところからこう呼ばれる。 40年短期議会に続く長期議会は国王チャールズ1世の専制政治をきびしく批判したが,41年末の大抗議文をめぐり国王派 (→騎士党 ) と議会派 (→円頂党 ) との対立が明確化し,42年夏武力衝突へと発展した。 10月のエッジヒルの戦いは勝敗なく終ったものの,軍事的には初め国王派が優勢であったが,議会派に O.クロムウェルが現れ,鉄騎隊を編制してマーストンムーアの戦いで国王派を破り,45年議会軍はニュー・モデル軍に編制されて優位となり,6月ネーズビーの戦いで決定的勝利を収めた。翌年王はスコットランド軍に投降,議会派に引渡されて第1次内乱は終った。しかし国王の処置,軍の削減などの問題をめぐって議会派内部の長老派,独立派,平等派の間に対立が深まり,48年王と結んだスコットランド軍の侵入により第2次内乱となったが,短期間で鎮圧。この年 12月独立派はプライドの追放により長老派を議会から追放,49年1月チャールズ1世を公敵として処刑し,同年平等派とディッガーズの反乱をも鎮圧して王政と上院を廃した共和国を樹立した。 50~51年スコットランドが皇太子チャールズ (のちのチャールズ2世 ) を王と宣言し,共和国軍はこれを征討。 51年航海法の発布が原因となって第1次イギリス=オランダ戦争が勃発,議会と軍との対立が激化したが,53年クロムウェルは武力で議会を解散,統治章典によって彼を護国卿とする独裁政権が成立した。しかし,きびしいピューリタニズムに基づく軍事的な政権は不評で,彼の没後2年目の 60年に王政復古が実現した。

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精選版 日本国語大辞典の解説

せいきょうと‐かくめい セイケウト‥【清教徒革命】

一七世紀中ごろのイギリスの市民革命。一六四二年、チャールズ一世の失政を機に王党派と議会派が武力衝突をおこし、結局議会派が勝ってチャールズ一世は処刑された。その後、議会派のなかの急進派を抑えてクロムウエルが独裁体制をしいたが、彼の死後、再び王政に復した。議会派の中心が清教徒だったためにいわれる。ピューリタン革命。

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世界大百科事典内の清教徒革命の言及

【ピューリタン革命】より

…その過程でイギリスは一時,君主政が否定され共和政となった。清教徒革命ともいう。
[革命の前提]
 イギリスではチューダー朝最後の君主エリザベス女王の治世までに,農業,毛織物業,貿易などの分野で近代的な発展が着実に進行した。…

※「清教徒革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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