ブレリオ(英語表記)Louis Blériot

改訂新版 世界大百科事典 「ブレリオ」の意味・わかりやすい解説

ブレリオ
Louis Blériot
生没年:1872-1936

フランスの航空先駆者。カンブレの生れ。元来は自動車ランプの製造業者だが,飛行機に興味をもち,1905年から実機の製作に乗り出す。みずから操縦者として試行錯誤を繰り返しながら改良を進め,09年7月25日飛行機による初のドーバー海峡横断飛行(カレー~ドーバー)に成功した。このときに使った機体単葉のブレリオⅩⅠ型で,主翼端にねじり装置を設けて横揺れを行い(現在の補助翼の原理),操縦かんを前後左右に傾けて縦揺れと横揺れ操舵を行う現在の操縦装置の基本原理を確立した。ブレリオはⅩⅠ型の前から多くの型式を製作して飛行したが,その設計製作は当時の他のフランス技術者に依頼したようである。彼は経営の才もあって,スパッド社を継承して第1次世界大戦の戦闘機を量産した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブレリオ」の意味・わかりやすい解説

ブレリオ
Blériot, Louis

[生]1872.7.1. カンブレー
[没]1936.8.2. パリ
20世紀初めのフランス航空界確立の立役者。当時の飛行機は複葉機がほとんどだったが,1907年から単葉機の研究に打ち込み,28馬力のエンジンをつけた XI型単葉機を完成した。 1909年7月 25日この機でドーバー海峡の横断に成功,ロンドン・デーリー・メール新聞社から 1000ポンドの賞金を獲得した。そのうえこの XI型機と改良派生型には,フランス,イギリス,イタリア,オーストリア,ロシア各国の空軍をはじめ多数の買い手がつき,第1次世界大戦が始まる 1914年までの5年間に 800機が売れた。 1910年の大ヨーロッパ・エアレースでは,レースに勝った機体のほとんどがブレリオ機で,同 1910年7月には速度,高度,飛行距離,航続時間の世界記録をつくっている。第1次世界大戦中,ブレリオは有名なスパッド複葉戦闘機の開発に協力し,戦後も民間機の製造を続けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブレリオ」の意味・わかりやすい解説

ブレリオ
ぶれりお
Louis Blériot
(1872―1936)

フランスの飛行家、事業家。1909年、自製の小型単葉機で英仏海峡を横断して飛行機の実用性を立証した。横断の成功は、同時に制海権を頼むイギリスへの警告であった。第一次世界大戦中はスパッドと略称されるルイ・ベシュローLouis Béchereau(1880―1970)設計の戦闘機を生産した。戦後かなりの活躍をしたブレリオ飛行機会社も、フランスの航空界の衰退とともに光を失い、国営企業に吸収された。

[佐貫亦男]

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世界大百科事典(旧版)内のブレリオの言及

【航空】より

…その結果,飛行機の性能は目覚ましい進歩を遂げ,各国の飛行家は競って新記録の樹立や新空路の開拓に挑戦した。その先頭をきって,フランスのL.ブレリオは,09年自作の単葉機で英仏海峡(カレー~ドーバー間)の横断に成功,さらに10年ペルーのシャベーズGeo Chavez(1887‐1910)のアルプス横断(ブリーク~ドモドッソーラ間。目的地に着陸の際墜落死亡),13年,フランスのガロスRoland Garros(1888‐1918)の地中海横断(サンラファエル~ビゼルト間)と続く。…

【飛行機】より

…しかし,フランスは研究者の層が厚く,19世紀末から多くの研究者が独自の発想で飛行機の研究に取り組んでいたので,その研究成果が1908年ころから一斉に開花して,性能の優れた飛行機が次々に現れた。09年7月25日,L.ブレリオは自作のXI型単葉機で初めてイギリス海峡を横断した(36km,32分)。この偉業でブレリオ機の声価が高まり,300機という当時としては考えられないほどの大量注文を受けてベストセラーになった。…

※「ブレリオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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