ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブー・サイード朝」の意味・わかりやすい解説
ブー・サイード朝
ブー・サイードちょう
Bū Sa`īd
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…以来,イギリスはオマーンにおける独占的影響力を行使する。一方,1744年ペルシア勢力の駆逐に成功し,イマームに選ばれたアフマド・ブン・サイード・アルブー・サイードAḥmad b.Sa‘īd al‐Bū Sa‘īdは,今日まで続く世襲的首長制を導入したが(ブー・サイード朝とよばれる),1783年の彼の死後,支配権が二分され,マスカトを拠点とする世俗的な首長と内陸ニズワーNizwāを拠点とする宗教的なイマームによる二元統治が始まり,両者の抗争期に入る。この間,首長勢力はインド洋世界の通商を拡大し,東アフリカにまで領有地をつくった。…
※「ブー・サイード朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新