ヘールツ(読み)へーるつ(その他表記)Anton Johannes Cornelis Geerts

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘールツ」の意味・わかりやすい解説

ヘールツ
へーるつ
Anton Johannes Cornelis Geerts
(1843―1883)

オランダ薬学者。オランダのオウデンディクに生まれ、父は薬業家で言語学者。日本の通称ゲールツ。ユトレヒト大学で薬学を学び、陸軍薬剤官となる。21歳で陸軍軍医学校化学教官に抜擢(ばってき)される。1869年(明治2)長崎医学校予科教師として来日、1875年京都司薬場教師に転じ、粗悪薬品取締りの検査と薬学教育に従事。日本研究資料の収集、温泉調査に努める。翌1876年新設横浜司薬場に移り、本務のかたわら、衛生知識の普及向上、コレラ防疫対策、伝染病予防規則制定の建議に奔走した。『日本薬局方編纂(へんさん)委員の任務も死の直前まで尽くした。広範な著作中『新撰本草(しんせんほんぞう)綱目・鉱物』(2編)は全編フランス語であるが、品名だけは漢字で書かれた労作である。政府の要請でフランクフルトの万国鉱泉博覧会に出品した日本各地の温泉成分表は『日本鉱泉誌』の原典である。志なかばの急死を悼み、政府は勲四等旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)を贈り、横浜の外人墓地に手厚く葬り、日本人妻と6人の幼い娘たちの自立の道を講じた。

[根本曽代子]

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朝日日本歴史人物事典 「ヘールツ」の解説

ヘールツ

没年:明治16.8.30(1883)
生年:1843.3.24
明治期に来日したお雇い外国人。オランダ人理化学教師。アムステルダム近郊に生まれ,ユトレヒト軍医学校の教官在職中の明治2(1869)年,ハラタマの後任として長崎医学校(長崎大)の理化学教師に雇われた。8年に京都に官立の施薬場が設けられると内務省衛生局雇として京都に移り,同時に京都府の設けた舎密局においても理化学の教育を担当。翌年京都施薬所の廃止に伴い新設の横浜施薬場に移る。横浜で病死し山手の外国人墓地に葬られた。日本薬局方の編纂者としての功績が大きい。妻は日本人の山口きわ。

(三好信浩)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ヘールツ」の解説

ヘールツ Geerts, Anton Johannes Cornelis

1843-1883 オランダの薬学者。
1843年3月24日生まれ。明治2年(1869)来日し,長崎医学校(現長崎大)の理化学教師となる。のち京都,横浜の司薬場教師。コレラの防疫対策などにつくし,「日本薬局方」の編集に参画した。妻は日本人。明治16年8月30日横浜で死去。40歳。ゲールツともよむ。

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