ハンガリー西部の同名県の県都。人口6万2000(2007)。バラトン湖の北東にあり,ハンガリー最古の都市の一つ。モラビア王国に属していてハンガリー人の定住前から聖堂と城があったが,イシュトバーン1世のとき司教座が置かれ,以後長らくハンガリーの文化的中心となった。マーチャーシュ王の代にはイタリアから多くの人文主義者が訪れた。オスマン・トルコ占領下で町は破壊され,その撤退後もその衰退は止まらなかった。19世紀に入ってからの資本主義の発展の中でも,経済的・政治的に保守的な体質を維持した。第2次大戦後にいたり,まわりの鉱山・工業地域の中心として,重化学工業を発展させた。町は五つの丘とその谷とから成り,複雑な地理的構造をなすことでも知られている。
執筆者:南塚 信吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…また1230年ころには,フランスの建築家ビラール・ド・オヌクールがハンガリーに滞在した。一方,13世紀前半の,ベーラ4世のビザンティン皇女との結婚が契機であろうが,ベスプレームのギシェラGisela礼拝堂には,ビザンティン風のフレスコも描かれた。 1308年,ナポリのアンジュー家からハンガリー王が選出されるに及び,12世紀以来自国の領土であったダルマツィアを通じてのイタリアとの結びつきはますます強化され,ルクセンブルク家のジギスムント王治下の首都ブダには,多くのイタリアの人文主義者が招かれ,画家のマソリーノ・ダ・パニカーレも1424年からしばらく滞在した。…
※「ベスプレーム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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