ベニヒセン(その他表記)Bennigsen, Rudolf von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベニヒセン」の意味・わかりやすい解説

ベニヒセン
Bennigsen, Rudolf von

[生]1824.7.10. リューネブルク
[没]1902.8.7. ベニヒセン
ドイツの政治家。法学を修め,初め裁判官だったが,1856年ハノーバーの下院議員に選ばれるとその職を辞し,J.ミーケルと結んで自由主義派を指導した。 59年小ドイツ主義的な「ドイツ国民協会」の創立に主導的役割を演じ,67年までその議長プロシアオーストリア戦争の際にはハノーバーとオーストリアの同盟を阻止しようとして果さず,プロシアへの併合後は,国民自由党に加わり,議会ではなばなしく活躍した。ドイツ統一後は,帝国議会にもプロシア下院にも選ばれ,73~79年にはプロシア下院議長をつとめ,国民自由党の党首としてビスマルク文化闘争を支援した。しかしビスマルクの議会軽視と内政面での右傾のため彼と決裂し,83年にはいったん議員を辞したが,88年再び帝国議会に復帰,中央党と協調しつつ国民自由党をリードした。

ベニヒセン
Bennigsen, Levin August Theophil, Graf von

[生]1745.2.10. ブラウンシュワイク
[没]1826.10.3. ヒルデスハイム近郊バンテルン
ドイツ生れのロシアの軍人将軍。ハノーバーの古い貴族の出身。所領の経済が悪化したため 1773年以来ロシアの軍隊に勤務し,オスマン・トルコポーランド,カージャール朝イランとの戦いで戦功をあげ,87年に陸軍大佐。皇帝パーベル1世殺害の宮廷クーデターに参加。 1801年にリトアニア (リトワ) の総督,02年に騎兵大将。 06年対ナポレオン戦争で活躍したのち,数年間引退していたが,12年ボロジノ会戦,タルチノ会戦に参加,13年ライプチヒ会戦に戦功をあげた。 18年ハノーバーの所領バンテルンに引退。

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