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文化闘争 ぶんかとうそう Kulturkampf

翻訳|Kulturkampf

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

文化闘争
ぶんかとうそう
Kulturkampf

ドイツ史上の概念。 1870年代のビスマルクによるカトリック教会に対する政治闘争ビスマルクは国家統制の必要から反プロシア的なカトリック教会に対する攻撃を行なった。具体的には,教会の学校に対する監督権の排除と国家によるそれの管掌,1871年の教壇条例による牧師の反政府宣伝の禁止,73年の五月法による牧師の任免権の国家による管掌,さらに出生,死亡,結婚など戸籍事務の国家への移譲,不従順な牧師の追放などである。

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デジタル大辞泉の解説

ぶんか‐とうそう〔ブンクワトウサウ〕【文化闘争】

《〈ドイツ〉Kulturkampf》普仏戦争後、ドイツ帝国でビスマルクが行ったカトリック教徒抑圧政策。実質的にはカトリック政党である中央党に結集した反プロイセン勢力を弾圧しようとしたもの。
階級闘争の一側面で、文化の諸問題をめぐって行われる闘争。

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百科事典マイペディアの解説

文化闘争【ぶんかとうそう】

1870年にドイツ宰相ビスマルクの行った旧教徒抑圧政策。Kulturkampfという。1870年新教国プロイセンを中心とするドイツ統一が実現したが,旧教徒勢力の強い西南ドイツ諸邦はこれを不満とし,1871年中央党を組織して中央政府と対立。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぶんかとうそう【文化闘争 Kulturkampf】

ドイツ統一後,帝国宰相ビスマルクが行ったカトリック弾圧政策と,その結果生じた政府・カトリック間の争い。文化闘争の呼称は,フィルヒョーが使用した用語,〈文化に対する闘争〉に由来する。ビスマルクは,カトリックを媒介とするフランスオーストリアの提携,またそれに呼応した国内のカトリックによる反政府活動を恐れてこの弾圧政策を強行した。とくにその際1871年に中央党が結成されたことは,カトリック政治勢力の新たな結集とみなされ重要な動機となった。

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大辞林 第三版の解説

ぶんかとうそう【文化闘争】

ドイツ帝国成立直後の1870年代に、ビスマルクが統制を強化するため、教壇条項や学校管理法などで、反プロイセン的なカトリック教徒に対して行なった弾圧。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

文化闘争
ぶんかとうそう
Kulturkampfドイツ語

1870年代、ドイツのビスマルクが国内のカトリック教徒に対し行った弾圧政策。71年に成立したドイツ帝国に対し、国内の少数派カトリック教徒とその政党、中央党が敵意を抱いていた。帝国の強化を目ざすビスマルクはこれへの弾圧に乗り出し、71年、聖職者の政治活動を禁ずる「教壇条項」、73年「ジェスイット法」、73、74年「5月法」を発布。カトリック教会の教育や市民生活に対する影響を除き、教会を国家の統制下に置こうと試みた。しかしカトリック教徒はこれに抵抗、中央党も74年以降の選挙で躍進を続けたので、ビスマルクは弾圧政策を打ち切り、78年から和解交渉を進め、80年代に関係法令の多くを廃止した。[木谷 勤]

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世界大百科事典内の文化闘争の言及

【ドイツ帝国】より


[ビスマルク時代]
 このような支配体制の上にドイツ帝国の政治は幾度か流れを変えた。1871‐77年はビスマルクの自由主義との蜜月時代で,政府は帝国議会と協力して国家建設のため種々の改革に取り組む一方,反プロイセンのカトリック教徒に対する文化闘争を強行した。しかしカトリック教徒とその政党,中央党の抵抗は続き,文化闘争は失敗に終わった。…

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