ベネディクト16世(読み)ベネディクトジュウロクセイ(その他表記)Benedict ⅩⅥ

現代外国人名録2016 「ベネディクト16世」の解説

ベネディクト16世
ベネディクトジュウロクセイ
Benedict ⅩⅥ

職業・肩書
カトリック枢機卿,神学者 元ローマ法王(第265代)

国籍
ドイツ

生年月日
1927年4月16日

出生地
バイエルン州マルクトル

本名
ラツィンガー,ヨゼフ〈Ratzinger,Joseph Alois〉

学歴
ミュンヘン大学(哲学・神学)卒

学位
神学博士(ミュンヘン大学)〔1953年〕

経歴
ドイツの貧しい家庭に生まれる。12歳で神学校に入学。一時期、ナチスの青少年組織“ヒトラー・ユーゲント”に義務的に入っていた。第二次大戦中は国軍で対空戦担当、終戦時は米軍戦争捕虜だった。1951年司祭に叙階、神学者の道を歩む。’58年フライジング、’59年ボン、’63年ミュンスター、’66年テュービンゲン、同年〜77年レーゲンスブルク各大学の教授を歴任。’62〜65年第2回バチカン公会議で神学の顧問として名を挙げ、’77年ミュンヘン・フライジング大司教、同年枢機卿に任じられる。’81年カトリック教義をつかさどるローマ法王庁の教理省長官に就任。2002年首席枢機卿。保守派を代表する教会指導者で、教会の宗教的純粋性を重んじたヨハネ・パウロ2世を支えた。長年にわたる積極的な平和活動でも知られた。2005年4月ヨハネ・パウロ2世の逝去に伴い、第265代ローマ法王に選出される。ポーランド人だった前法王に続いて2人目の非イタリア人の法王となった。法王名のベネディクトは、6世紀にベネディクト会を創始した聖人に由来する。2008年4月法王の座に就いて以来初めて訪米し、ブッシュ大統領と会談。2009年1月ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を疑問視する発言をした司教の破門を解除したことで非難続出。2010年英国を公式訪問し、エリザベス2世と会談、カトリックと英国国教会の470年ぶりの和解となる歴史的な出来事となった。2013年退位後は名誉法王と呼ばれる。ピアノが趣味で、モーツァルトベートーヴェンを愛する。2007年「ナザレイエス」を出版。

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知恵蔵mini 「ベネディクト16世」の解説

ベネディクト16世

第265代ローマ教皇(法王)、バチカン市国国家元首。本名はヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー(Joseph Alois Ratzinger)。1927年4月16日、ドイツ・バイエルン州生まれ。41年、ナチスの青少年団体「ヒトラーユーゲント」への加入を余儀なくされる。戦後、神学校に入学し、51年司祭となる。53年、神学博士号を取得。57年より幾多の大学で教鞭を執る。77年、ミュンヘン・フライジング大司教区の大司教に任命され、同年、枢機卿(教皇の助言者たる高位聖職者)となった。82年、ミュンヘン大司教区を離れ、1993年に司教枢機卿、2002年11月に首席枢機卿へと任命された。ヨハネ・パウロ2世の健康状態が悪化(05年4月2日逝去)のため、05年4月19日、78歳にして教皇に選出される。950年ぶりのドイツ人教皇、1730年のクレメンス12世以来最高齢での就任などで特に話題となった。思想的には、避妊、人工妊娠中絶、同性愛、ジェンダー理論などに反対の立場をとる超保守派で、クリスマスが商業主義になり過ぎていると批判したこともある。2013年2月11日、同年2月28日をもって教皇を退位することを表明した。

(2013-2-13)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネディクト16世」の意味・わかりやすい解説

ベネディクト16世
ベネディクトじゅうろくせい

「ベネディクツス16世」のページをご覧ください。

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