1926年ナチス再生第1回党大会で,大ドイツ青少年連合を改称して正式発足したナチス党公認のファシズム青少年組織。15~18歳の青少年で構成し,10~14歳までは少国民隊(ユングフォルクJungvolk)に組織されユーゲントへの準備訓練を受けた。女子部としてはドイツ少女連盟が置かれた。軍国主義的愛国心教育と集団的な肉体鍛練・軍事訓練を中心に,B.シーラハの指揮で大規模な組織化がなされ,若者たちの熱狂的な支持を獲得し,36年のヒトラー・ユーゲント法によりすべての青少年の参加を義務づけた。37年ユーゲントの一部にヒトラー学校を設立してエリート養成にあたり,39年には10~18歳まで800万人を超えるユーゲントが組織された。42年にはドイツ占領下のファシズム青少年組織の中心としてヨーロッパ青少年同盟を呼びかけた。44年不利な戦局の下で,16歳以上のすべての男子による国民突撃隊を創立したためヒトラー・ユーゲントはそこに吸収された。
→ナチス
執筆者:増山 均
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ナチス党の、またその政権掌握後は第三帝国の青年組織。1926年に設立され、31年シーラッハが「ナチス党青年指導者」の地位につくと、ドイツ女子青年団(BDM)など党の青年組織を統合した。33年ヒトラー政権が成立すると、シーラッハは「ドイツ国青年指導者」としてナチス党以外のあらゆる青年組織を解体・再編し、ヒトラー・ユーゲントを家庭や学校に優先する「身体的・精神的・道徳的教育のための組織」と位置づけ(1936年の「ヒトラー・ユーゲント法」)、10~18歳の青少年男女のイデオロギー的・組織的な全面的把握を目ざした。団員数は、32年末10万、33年夏350万、38年末870万といわれる。
[吉田輝夫]
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1926年に発足したナチ党の少年団。第三帝国時代他の青少年組織を吸収。36年の法律で14~18歳の男子が加入を強制され,ナチ教育を受けた。14~17歳の女子のためには同様の「ドイツ女子青年団」があった。ポツダム協定により禁止された。
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