ペルツィヒ(その他表記)Hans Poelzig

改訂新版 世界大百科事典 「ペルツィヒ」の意味・わかりやすい解説

ペルツィヒ
Hans Poelzig
生没年:1869-1936

ドイツの建築家。ベルリンに生まれ,学ぶ。官吏となり,はじめブレスラウで,のちにはベルリンで教師として多くの建築家を育てる。かたわら早くから設計を続け,ポーゼンの給水塔(1912),ルーバンの化学工場(1912),ベルリン大劇場(1919),ザルツブルクの祝典劇場案(1925)などを発表。ドイツ表現主義の代表的建築家とみなされる。ナチス政権樹立後,1933年トルコに招かれて公共建築の指導に当たるが,病を得てまもなく没する。
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関連語 山口

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペルツィヒ」の意味・わかりやすい解説

ペルツィヒ
ぺるつぃひ
Hans Poelzig
(1869―1936)

ドイツの建築家。ベルリンに生まれ、同地で没。ベルリン工科大学に学ぶ。1900~16年ブレスラウ工芸学校建築科で教え、のち同校の校長となる。16~20年ドレスデン市土木監督官、19~21年ドイツ工作連盟議長、24~35年ベルリン工科大学教授を務めた。ポーゼンの給水塔(1911)、ブレスラウ(ブロツワフ)の商館(1911~12)などの単純で力強い量塊構造でドイツ近代都市建築に新風をおこし、のち表現主義的な様式に意欲を示した。とくに工業および演劇のための建築が注目される。そのほかの作品にベルリンの大劇場(1918~19)、フランクフルトのIG染色会社管理棟(1928~30)、ベルリン放送局(1929~30)がある。

[野村太郎]

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百科事典マイペディア 「ペルツィヒ」の意味・わかりやすい解説

ペルツィヒ

ドイツの建築家。ベルリン生れ。ドイツ各地で活動,1918年―1919年M.ラインハルトの依頼でベルリンに数千人を収容する大劇場を設計,表現主義建築の代表的存在となった。他にザルツブルクの祝典劇場案(1925年)などがある。ナチス政権成立後の1933年トルコに招かれるが,まもなく病没。
→関連項目ドイツ工作連盟

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