ホスロー1世(英語表記)Khosrō Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「ホスロー1世」の意味・わかりやすい解説

ホスロー[1世]
Khosrō Ⅰ

ササン朝ペルシアの王。在位531-579年。カワード1世の子。皇太子のときにマズダク教徒の弾圧に主導的役割を果たした。父王が着手した税制改革を実現して財政の安定を図り,国王常備軍を編成し,帝国を4軍管区に組織して軍事力の統制を強化し,ディーワーン(大臣)制によって官僚制を整備した。対外的には東ローマと戦ってアンティオキアを占領し(540),長いあいだ貢納を強いられてきたエフタルに対しては,突厥と結んでこれを滅ぼし(558ころ),国境をオクサス川まで拡大した。また,海上にも進出してイエメンを征服し(570),ササン朝の船隊は中国に達した。ホスロー1世は〈アノーシャルワーン〉(〈不死の魂をもつもの〉の意)と呼ばれ,彼の治世は正義と栄光の時代として長くたたえられた。のちのイスラム世界で,キスラー(ホスロー)といえば王の代名詞として用いられたほどであった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホスロー1世」の意味・わかりやすい解説

ホスロー1世
ホスローいっせい
Khusraw I

古代イラン,ササン朝の王 (在位 531~579) 。アヌーシールバーン (不死の魂をもつ者) と号し,ササン朝の最盛期を現出した。西はビザンチン帝国とときに戦い,ときに和し,東はエフタル族を滅ぼし,北はアムダリア (オクソス川) を越えてトルコ族を討ち,南は遠征軍を派遣してイエメンを占領した。国内では運河を開いて農業,灌漑に意を用い,貴族勢力を押えて行政機構を整備し,税制を改革して中央集権体制の確立に努めた。ゾロアスター教を信仰してマズダク教を排除したが,キリスト教には寛大であった。伝統文化を振興するとともに,インドやギリシア書物を多数パフラビー語に翻訳させた。イスラム時代の諸制度に影響を与えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ホスロー1世」の解説

ホスロー1世(ホスローいっせい)

フスラウ1世

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のホスロー1世の言及

【ササン朝】より

…カワード1世Kavādh Iは,当時国内に起こっていたマズダク教の社会運動,他方ではエフタルの力を利用して大貴族や祭司階級の勢力を抑え,王権の強化をはかった。カワードの治世末期にマズダク教徒を弾圧したホスロー1世は,父王のあとをついで即位すると,税制改革,官僚制の整備,国王常備軍の編成によって中央集権的な支配体制を確立した。国力の充実にともない対外政策も積極化し,ビザンティンと戦ってシリアに侵入し,東方では突厥と同盟してエフタルを滅ぼし,またイエメンを征服して南海に進出した。…

【マズダク教】より

…その教説は,北方よりのエフタル族の侵入と飢饉で混乱する当時の社会情勢を背景に,急速に人心をつかみ,国王カワード1世(在位488‐496,499‐531)が,貴族,高級聖職者階級の権勢を制する意図もあってその信奉者となったことから,さらに王宮内にも勢力を拡大した。カワード1世は治世の晩年,その子で次王のホスロー1世の助言を入れて方針を転じ,マズダクとその信従者たちを一挙に殺害することに踏み切った(528年あるいは529年初頭)。アラブ史家が誤って次代ホスロー治下第1年のこととするこの大殺害によって,ホスローは〈アノーシルワーンAnōshirwān〉(〈不死なる魂の所有者〉の意)の称号を得,ゾロアスター教伝承の中では,ササン朝第1の名君とされるにいたった。…

※「ホスロー1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android