改訂新版 世界大百科事典 「ディーワーン」の意味・わかりやすい解説
ディーワーン
dīwān
イスラム国家の行政機関で,庁,局などを意味するアラビア語。アラブの伝承では,語源的には悪魔の意味のdēvに由来するとされるが,中世ペルシア語の〈書くdīp〉から派生したとするほうが正しいであろう。最初に用いられたのは640年,第2代カリフ,ウマル1世の時で,ムハンマドの妻を含むイスラム教団の有力者やアラブ戦士(ムカーティラ)たちに対する俸給(アター,リズク)支給のための登録簿としてであったが,やがてそうした事務を取り扱う役所をも意味するようになった。ウマイヤ朝(661-750)になると中央政府の業務も増え,租税徴収を担当する税務庁,カリフの文書を作成する文書庁,文書の封緘を行う印璽庁,戦士の登録と俸給の支給事務を担当する軍務庁,全国の駅逓を統括する駅逓庁などが設けられた。アッバース朝(750-1258)ではウマイヤ朝末期以来の中央集権化がいっそう強められ,官僚機構が膨張し,分業化が進んで,ディーワーンの数も増加,それも状況に応じて臨機に改廃された。たとえば,税務庁は9世紀,全国に私領地(ダイア)が発展してくると私領地庁を分岐させたが,892年,首都がサーマッラーからバグダードに戻ると,これら税務諸官庁をディーワーン・アッダールdīwān al-dārとして統合,次いで全国の税務行政区を三分して,イラク担当のサワード庁dīwān al-Sawād,イラン担当の東部庁dīwān al-mashriq,シリア・エジプト担当の西部庁dīwān al-maghribを設置,別にカリフ私領地庁を設けて,きめ細かく税務行政が行えるようにし,またディーワーン・アッダールは宰相(ワジール)の官房庁として,各官庁間の調整にあたった。アッバース朝におけるディーワーン制度で特徴的なことは,第3代カリフ,マフディーの時,各ディーワーンに対応して,ディーワーン・アッジマームdīwān al-zimāmが創設されたことで,これは当該ディーワーンの業務を監督する監査庁を意味し,官吏の業務監察を行った。しかもこれら監査系の諸官庁を統括する最高監査庁も設置され,その長官はカリフによって直接任命された。この監査庁は9世紀末に国家の予算制度が確立すると,会計監査の役割を果たした。すなわち各税務官庁や軍務庁・支出庁が提出した予算表をまず事前監査し,次いで宰相が作成した歳出入の総合予算表に対しては,最高監査庁の長官が監査して,もし疑義がある時はカリフに報告,宰相は予算の再編成を迫られることがあった。このように監査系の諸官庁はジマーム系,それに対して一般の諸官庁はウスール系と呼ばれ,後者の諸長官は宰相に任免権があったが,前者はカリフの任命する最高監査庁の長官に任免権があったことから,宰相の財政業務を監視する役割を果たした。こうした各官庁の長官の俸給は,官庁の等級によって非常に開きがあり,たとえば10世紀初めころではサワード庁の長官の月給は500ディーナールであったのに対し,給与庁のそれは10ディーナールにすぎなかった。アッバース朝以降のイスラム諸王朝のディーワーン制度は,ほぼアッバース朝のそれをならったものであったが,ただオスマン帝国では,ディーワーンdivanは国政の会議を意味し,ディーワーン・ヒュマユーンはスルタンの御前会議を,イキンジ・ディーワーンは大宰相の主宰する閣議を指した。
執筆者:森本 公誠
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