日本大百科全書(ニッポニカ) 「クテシフォン」の意味・わかりやすい解説
クテシフォン
くてしふぉん
Ctesiphon
メソポタミアの古代都市遺跡。現在イラク共和国に属し、バグダードの南東約40キロメートル、ティグリス川の左岸にある。紀元前129年ごろパルティアの冬の都となり、対岸のギリシア人の商業都市セレウキアとともに、ペルシア人の政治・軍事都市として発展した。ササン朝ペルシア時代は終始その首都であった。パルティア時代からしばしばローマ軍の侵略を受け、637年アラブ人に占領され破壊された。1928~32年ドイツ東洋学会が発掘した。現在残っているのは、ササン朝ホスロー1世(在位531~579)時代の宮殿の一部と思われる丸屋根・れんが製のターク・イ・キスラ(ホスローのアーチ)だけであるが、高さ37メートルあり、昔日の偉容をしのばせるササン朝の代表的建築物である。
[小玉新次郎]