日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ボードアン・ド・クルトネー
ぼーどあんどくるとねー
Jan Ignacy Niecisław Baudouin de Courtenay
(1845―1929)
ポーランド生まれの言語学者。ロシア名Иван Александрович Бодуэн де Куртенэ。サンクト・ペテルブルグ、カザン、ドルパト(タルトゥ)、クラクフ、ワルシャワその他の大学などを種々の理由で転々としたが、その間にクルシェフスキ、ポリワーノフら数多くの優れた言語学者を育てた。学説としては、文字と音、音と音素、共時態と通時態、言語(ラング)と言(パロール)、それぞれの区別の必要性を説いていたほか、言語の進化の説明に際しての「エコノミー」なる概念の適用など、多くの斬新(ざんしん)な考えを、すでに1870年代より展開していた。このため、今日では、F・ド・ソシュールの先駆者の一人、あるいはソシュールと並ぶ構造言語学の創始者とすら評価する者もある。一般言語学以外に、スラブ語学(ことにタイポロジー)、比較言語学の業績も少なくない。
また、ダーリの『大ロシア語詳解辞典』の改訂者としても知られている。プラハ言語学サークルの機能構造主義、ことに音韻論には、ボードアンの影響が看取される。
[桑野 隆 2018年8月21日]