バルト海沿岸のエストニア共和国南東部に位置する同共和国第2の都市。人口10万1244(2003)の古都で,旧称はドルパートDorpat。中央をエマ川が流れ,石橋がかかっている。市は大火と第2次世界大戦により破壊されたが,市庁舎,バネムイネ劇場,それにパウルセとペートリの教会がある。キーメマエの丘のふもとには由緒あるタルトゥ大学と天文台が建ち,他に農業大学と物理,動物,植物の各研究所,および民族博物館と文学博物館がある。タルトゥは1030年,キエフ大公ヤロスラフの築城に始まり,13世紀末にはハンザ同盟に加わった。後にポーランド領となり,17世紀末にはスウェーデンに支配されたが,北方戦争中の1704年ロシアに占領された。タルトゥは首都タリンとリガを結ぶ鉄道の中心地で,エストニアの主要な工業都市でもある。機械・金属・化学工業や建築・木材・織物・皮革・食品工業が営まれている。
執筆者:小泉 保
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エストニア共和国第二の都市。人口10万1246(2000)。エマ川の河岸にあり、チュド(ペイプス)湖の西に位置する。19世紀後半以来、エストニアの経済中心地として発展した。木材、製靴、農業機械、食品などの工業が盛ん。キエフ大公ヤロスラフ1世が1030年に城を建設した古い町であるが、1224年チュートン騎士団が支配し、ついでハンザ同盟都市となった。1775年の大火や第二次世界大戦の被害を受けたが、1632年創立のタルトゥ大学、13世紀の大聖堂の遺跡、市庁舎など歴史的建造物も多い。
[山本 茂]
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