ポンティ

百科事典マイペディア 「ポンティ」の意味・わかりやすい解説

ポンティ

イタリア建築家,プロダクトデザイナー。20世紀イタリア・デザイン界で最も影響力をもった人物の一人。ミラノ生れ。ミラノ工科大卒業後,1923年―1930年リチャード・ジノリ社のため古典的モティーフを取り入れた陶磁器をデザイン。1930年代,現代建築にイタリアの古典的様式を積極的に導入しようと試みた〈ノベチェント〉運動の主要なメンバーとして活躍した(同運動は第2次大戦後のイタリア敗戦とともに消滅)。1928年建築デザイン雑誌《ドムス》を創刊。一時中断があったものの,没年まで編集を続けた。戦後も軽量椅子〈スーパーレジェーラ〉(1956年)やミラノの建築〈ピレリビル〉(1958年)など,イタリアの現代建築・デザインを代表する多くの作品を生んだ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポンティ」の意味・わかりやすい解説

ポンティ
Ponti, Gio

[生]1891.11.18. ミラノ
[没]1979.9.15. ミラノ
イタリアの建築家。初め工芸デザイナーとして立ち,ウィーンのゼツェッシオン様式の陶器家具,室内装飾を手がけた。 1927年ミラノで「イタリア合理主義建築集団」を創設し,翌年,雑誌『ドムス』 Domusを創刊。ミラノ・トリエンナーレ (造形美術展) の推進者となり,新しい世代の前衛芸術家の育成に尽力した。作品は近代イタリアの国際様式建築黎明期を開いたローマ大学数学科棟 (1934) ,モンテカティーニ会社 (36,ミラノ) ,洗練された高層建築として著名なピレリ・ビル (55~58,同) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポンティ」の意味・わかりやすい解説

ポンティ
ぽんてぃ
Gio Ponti
(1891―1979)

イタリアの建築家。ミラノに生まれ、同地に没。1920年代の中ごろまでは分離派をはじめとするウィーンの造形やデザインの影響を受け、家具や室内装飾をデザインした。28年雑誌『ドムス』を創刊、33年『イタリアの住宅』を出版し、36年からミラノ工科大学建築科で教えるなど、啓蒙(けいもう)的活動を精力的に続けた。建築作品には、ローマ大学の数学部(1934)、ミラノのモンテカチーニ・ビル(1936)などがあり、イタリアにおける国際様式先駆者の一人となった。第二次世界大戦後の彼の活動を象徴するのが、ミラノの超高層建築ピレッリ・ビル(1955~58、構造ネルビ)で、これにより世界的評価を高めた。

[高見堅志郎]

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