国際様式建築(読み)こくさいようしきけんちく

改訂新版 世界大百科事典 「国際様式建築」の意味・わかりやすい解説

国際様式建築 (こくさいようしきけんちく)

1920年代から50年代にかけての近代建築の造形傾向を指すのに最もよく用いられる,建築様式の名称。インターナショナル・スタイルinternational styleともいう。1932年ニューヨーク近代美術館で現代建築展が企画されたおり,担当したヒッチコックHenry-Russel HitchcockとP.C.ジョンソンが著した書名に由来するという。20世紀に入り鉄骨造・鉄筋コンクリート造の普及発展,建築工学技術の進歩が著しかった。これらを背景に建築材料・施工法の規格の国際化,学問知識の共通化が進む中から,建築造形も国際化してゆくことが予見された。ヒッチコックとジョンソンは新しい建築作品の中から,ボリュームとしての建築,規則性,装飾忌避の3原理を導き出し,国際様式特色とした。これらは歴史様式定義と異なり,あくまで近代建築のあるべき姿を提示したものであったが,倫理的説得力があり建築界の支配的傾向として広く承認された。実例として,W.グロピウスバウハウス校舎(1926),ル・コルビュジエのサボイ邸(1931),J.J.P.アウトのキーフフーク集合住宅(1925),ノイトラのラベル邸(1929),O.ニーマイヤーのブラジル教育保健省庁舎(1939)などが挙げられる。第2次大戦後超高層ビル,集合住宅にも,この様式を継承するものが多く,L.ミース・ファン・デル・ローエのシーグラム・ビル(1958),ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオン(1952)などがその代表例といえる。
近代建築
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百科事典マイペディア 「国際様式建築」の意味・わかりやすい解説

国際様式建築【こくさいようしきけんちく】

1920年代のバウハウスなどに端を発し,第2次大戦後から1950年代にかけて世界的な支配傾向となった建築様式。インターナショナル・スタイルinternational styleの訳。名称は1932年ニューヨーク近代美術館で開かれた建築展の際にH.R.ヒッチコックとP.ジョンソンが著した書物に由来するとされる。鉄骨造・鉄筋コンクリート造の普及にともなう造形の規格化を背景として発展。ボリュームの組合せ,規則性,無装飾性が特徴で,形態的には長方形の箱を思わせる。代表的作品にW.グロピウスのバウハウス校舎(1926年),ル・コルビュジエのサボア邸(1931年),ミース・ファン・デル・ローエとジョンソンのシーグラム・ビル(1958年)などがある。高層事務所建築の主流をなしたが,1960年代に入りその画一性が批判の対象となりはじめた。
→関連項目ポスト・モダニズム

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世界大百科事典(旧版)内の国際様式建築の言及

【近代建築】より

…建築に風土的な個性を与えたフィンランドのアールトー,大胆な構造を建築表現に高めたイタリアのP.L.ネルビ,打放しコンクリートの肌を粗々しく表現する〈ブルータリズムBrutalism〉などが1950年代に現れたが,歴史様式が建築造形に用いられることはなかった。国際様式建築
[ポスト・モダニズム]
 国際様式は世界中の高層事務所建築の主流となったが,その画一的かつ非個性的な空間を嫌う声が60年代から現れてくる。すでにル・コルビュジエのロンシャンに建つ教会(1954),デンマークのウッツォンJørn Utzon(1918‐ )によるシドニー・オペラ・ハウス(1956設計),丹下健三設計の国立屋内総合競技場(1964)などの作品が,機能の充足のみからは説明のできない造形を示していたし,70年代に入るとフランスのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)における設計の伝統であった古典主義的造形を標榜するアメリカのL.I.カーン,またAT & Tビル(1978設計)によって高層ビルに象徴的表現を復活させたP.C.ジョンソンらの影響力が強まった。…

※「国際様式建築」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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