現代外国人名録2016 「マイクタイソン」の解説
マイク タイソン
Mike Tyson
- 職業・肩書
- 元プロボクサー 元WBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級チャンピオン
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1966年6月30日
- 出生地
- ニューヨーク市ブルックリン
- 本名
- タイソン,マイケル・ジェラルド〈Tyson,Micheal Gerard〉
- 経歴
- 1978年12歳の時に財布を盗んで13歳で少年院送りとなり、ここでボクシングと出合うと、名トレーナーのカス・ダマトに師事。アマで25勝5敗の成績を残し、’85年3月にプロデビュー。以来、180センチとヘビー級としては小柄ながら中量級並みのスピードと抜群のパンチ力、卓越したボクシングセンスで快進撃を続け、’86年11月トレバー・バービック(カナダ)を破りWBC世界ヘビー級王座を獲得、20歳4ケ月で史上最年少の世界チャンピオンとなった。’87年8月にはトニー・タッカー(米国)を破りWBA、IBF王座も獲得。9年ぶりにヘビー級3王座の統一王者となり、9度の防衛に成功。’90年2月東京ドームで行われた防衛戦で挑戦者ジェームズ・ダクラス(米国)に敗れるまで無傷の37連勝を記録した。しかし、リング外では暴行事件など“トラブルメーカー”としての話題が多く、’92年3月婦女暴行罪などで実刑6年、罰金3万ドルの判決を受け収監される。’95年3月出所。8月ラスベガスで4年2ケ月ぶりの復帰戦を白星で飾る。12月バスター・マシスJr.(米国)を下し、完全復活。’96年3月WBC世界ヘビー級王者のフランク・ブルーノ(英国)にTKO勝ちし6年ぶりに王座を奪回。9月WBA世界ヘビー級王者のブルース・セルドン(米国)にKO勝ちし、ヘビー級王座を統一したが、WBCは王座剥奪。11月元統一王者イベンダー・ホリフィールド(米国)に敗れ、WBAのタイトルも失う。’97年6月ホリフィールドに再挑戦するが、ボクシング史上前代未聞の右耳を嚙みちぎる反則で3回終了失格負けとなった。7月ネバダ州コミッションは無期限ライセンス剥奪と罰金300万ドルの裁定を下す。’99年1月、1年7ケ月ぶりの復帰戦となるヘビー級ノンタイトル戦で元IBF王者フランソワ・ボタ(南アフリカ)にKO勝ち。同年2月、’98年の交通事故の際の暴行事件でメリーランド州モンゴメリー郡裁判所から禁固2年の実刑判決を受け収監、’99年5月仮釈放が認められ、出所。2000年1月英国ヘビー級王者ジュリアス・フランシスとのノンタイトル戦でTKO勝ちし欧州進出。10月アンドルー・ゴロタ(ポーランド)とのノンタイトル戦でTKO勝ちを収めるが、その後ドーピング検査を拒否したことで無効試合となる。2002年6月WBC・IBC統一王者レノックス・ルイス(英国)に挑戦するがKO負け。2005年6月ケビン・マクブライド(アイルランド)とのノンタイトル戦で6回TKO負けを喫し、事実上の引退となった。通算戦績は58戦50勝(44KO)6敗2NC。右ファイターで、左フック、右ストレートを得意とした。モハメド・アリが去り停滞期にあった1980年代のヘビー級戦線に彗星のごとく現れ、無類の強さで“アイアン・マイク(鉄人マイク)”の異名をとった。20年間で稼ぎ出したファイトマネーは約3億ドルといわれる。2010年12月国際ボクシング殿堂入りが決まる。2001年映画「クロコダイル・ダンディー in LA」に特別出演した。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報