現代外国人名録2016 「マイケルムーア」の解説
マイケル ムーア
Michael Moore
- 職業・肩書
- 映画監督,ジャーナリスト,作家
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1954年4月23日
- 出生地
- ミシガン州デービソン
- 本名
- Moore,Michael Francis
- 学歴
- ミシガン大学(ジャーナリズム)
- 勲章褒章
- CBE勲章
- 受賞
- ロサンゼルス映画批評家協会賞(ドキュメンタリー賞)〔1989年〕「ロジャー&ミー」,カンヌ国際映画祭55周年特別賞(第55回)〔2002年〕「ボウリング・フォー・コロンバイン」,アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞(第75回,2002年度)〔2003年〕「ボウリング・フォー・コロンバイン」,英国図書賞(年刊賞)〔2003年〕「アホでマヌケなアメリカ白人」,カンヌ国際映画祭パルムドール(第57回)〔2004年〕「華氏911」
- 経歴
- 10代から政治活動に目覚め、22歳で地域紙「フリント・ボイス」を創刊、編集長を務める。著書「アホでマヌケなアメリカ白人」(2001年)は全米でミリオンセラーを記録。他のベストセラーに「Downsize This!」がある。一方、映画監督としても活躍し、1989年デビュー作のドキュメンタリー「ロジャー&ミー」では大手自動車会社GMの横暴を痛烈に風刺し、ロサンゼルス批評家協会賞を受賞。2002年米国の銃問題を扱ったドキュメンタリー「ボウリング・フォー・コロンバイン」をカンヌ国際映画祭コンペ部門に出品。重いテーマをユーモラスな語り口で捉え、記録映像やPR映画、人気アニメ「サウスパーク」などの多彩な映像を織り込んだ秀逸な映像で大きな話題を呼び、第55回記念賞を受賞。2003年にはアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞も受賞。2004年ブッシュ大統領一族とオサマ・ビンラディン一族との関係などを検証したドキュメンタリー「華氏911」はウォルト・ディズニーより配給を拒否されるが、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。2007年米国の医療保険制度を批判した「シッコ(Sicko)」を発表、政府の押収を恐れてフィルムの一部をカナダに保管した。他の監督作品に「ジョン・キャンディの大進撃」(1994年)、「ザ・ビッグ・ワン」(’97年)、「キャピタリズム〜マネーは踊る」(2009年)、出演作品に「ラッキー・ナンバー」(1999年)などがある。2010年、英国で拘束されている「ウィキリークス」創設者ジュリアン・アサンジの保釈金のうち2万ドルを提供すると表明した。
マイケル ムーア
Michael Kenneth Moore
- 職業・肩書
- 政治家 元世界貿易機関(WTO)事務局長,元ニュージーランド首相
- 国籍
- ニュージーランド
- 生年月日
- 1949年1月28日
- 出生地
- ワカタネ
- 別名
- 別称=ムーア,マイク〈Moore,Mike〉
- 学歴
- レイ・オブ・アイランド高校卒
- 経歴
- 5歳の時に父親と死別、15歳で学校を卒業後、レンガ工、印刷工などをして働き始める。1966年労働党入党。’67年印刷工組合の代表としてオークランド労働評議会に参加。’72年23歳で国会議員に初当選(最年少)。’75年落選、夜間警備員などをする。’78年国会議員に返り咲き、以後各種委員会ポストや観光相、レクリエーション・スポーツ相、外国貿易市場開発相などを歴任。’88年9月対外関係・貿易相、’90年1月外相を経て、同年9月41歳で首相に就任。同年10月総選挙で野党・国民党に大敗し首相退任。’93年12月党首辞任。’99年9月〜2002年8月世界貿易機関(WTO)事務局長を務めた。独学と多読で知られ、議会、経済、労働などについての著書がある。1999年10月来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報