マイトラカ朝(読み)マイトラカちょう(英語表記)Maitraka

改訂新版 世界大百科事典 「マイトラカ朝」の意味・わかりやすい解説

マイトラカ朝 (マイトラカちょう)
Maitraka

インドの王朝。5世紀末,グプタ朝衰退に乗じてサウラーシュトラの地方長官バタールカBhaṭārkaがバラビーValabhīを都として台頭して王朝を建て,グプタ朝滅亡後は〈大王の王〉と称して領土を拡大し,グジャラート覇権を握った。7世紀になってハルシャ・バルダナが北インドを統一すると,彼に従属して領土を維持し,彼の死後には再び独立してグジャラートから中央インドのマールワ地方にかけての大勢力となった。都バラビーは政治,商業の中心地であったばかりでなく,西インドの文化の中心地としても有名であって,仏教寺院が相次いで建立され,ナーランダーに次ぐ仏教の大学として栄え,またジャイナ教もこの地を経典編纂の地としている。711年シンドを征服したイスラム軍と戦い,その侵略を防いだものの,疲弊して8世紀中ごろに滅びた。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マイトラカ朝」の解説

マイトラカ朝(マイトラカちょう)
Maitraka

5世紀末~8世紀後半に,古代インド,グジャラートを支配した王朝。グプタ朝の将軍バタッカを始祖とし,従属王朝となった後,グプタ朝の衰退に乗じて独立した。ヴァラビーを首都としてカーティアーワール半島南部から,最盛期にはマールワにまで勢力を伸ばした。7世紀前半にはハルシャ・ヴァルダナ姻戚になるなど強勢を誇ったが,その後ムスリム勢力の進出プラティーハーラ朝ラーシュトラクータ朝の台頭に伴い衰退した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マイトラカ朝」の意味・わかりやすい解説

マイトラカ朝
マイトラカちょう
Maitraka

5~8世紀にインド西部,カティアワール半島のバラビーを都とした王朝。5世紀中頃グプタ朝の将軍バッタールカがカティアワール地方を統治,次第に独立し,3代目に王と称し,4代目のドルバセーナ1世のときに完全に独立。7世紀初めには西インドの最強国となったが,8世紀に衰亡した。

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