マフィア(読み)まふぃあ(英語表記)Mafia

翻訳|Mafia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マフィア」の意味・わかりやすい解説

マフィア
まふぃあ
Mafia

アメリカ、イタリアに存する暴力的な秘密組織マフィアということばは、虚栄、自慢を意味するアラビア語のmahyahからイタリア方言化したとされる。もともとイタリアのシチリア島に発生の根源をもっているが、その組織化にはいくつかの起源説がある。その第一は9世紀、アラブの侵入に対して結成されたという説、第二は1282年にフランスの抑圧への抵抗に始まるという説、第三は18世紀後期のブルボンとの闘いのための団結説、第四にもっとも一般的なのは、19世紀初め、ナポレオン軍に追われたナポリ王室がこの島に逃げ込んだのが契機という説である。

 マフィアが初めてアメリカの歴史に現れたのは1870年ころだが、その後、中西部のイタリア移民によってシカゴセントルイスクリーブランドなどを拠点に、やがて全米の暗黒街に根を張るようになった。1929年、カポネによるシカゴのバレンタインデーの虐殺は有名であるが、禁酒法時代の事件である。マフィアはアメリカの土壌で新しくギャングとして発達し、コーザ・ノストラCosa Nostra(「われわれのもの・仕事」の意)ともよばれる。1930年当時には、ニューヨークをはじめ全米に24のファミリーがあった。ファミリーはその活動単位で、ボスの下にアンダー・ボス、そして平のソルジャーに至るまでの組織をもつ。また、ファミリー間を調整するコミッションカウンシルがあったこともある。彼らは、不文の掟(おきて)のオメルタomerta(仲間意識)で結ばれ、また、日本のやくざなどに比べると、世間からの秘匿性がはるかに強い。

岩井弘融

『F・J・クック著、小菅正夫訳『マフィア犯罪白書』(1972・早川書房)』『N・ゲージ著、常盤新平訳『マフィアは冷酷な企業である』(1973・角川書店)』『O・デマリス著、宮本晃太郎訳『マフィア 裏切りの報酬』上下(1981・サンケイ出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マフィア」の意味・わかりやすい解説

マフィア
Mafia

シチリア島における社会支配の一形式。マフィアという語はアラビア語に由来するとみられるが,語義についてはまだ解明されてない。 19世紀中頃シチリアの農村の支配権が大土地所有貴族から農村ブルジョアジーに移行する過程で,農村ブルジョアジーが農民に対する支配を確実なものとするため私兵を雇って,公権力よりも「沈黙の掟」という私的強制力を通じて支配秩序を形成した。このような支配の方式と社会慣行,さらにはそれを行使する人間がマフィアの名で呼ばれることになった。外国の圧政に反抗するため 13世紀に生れた秘密結社という説もあるが正しくない。マフィアは法を犯すというよりも,法に依存しないで私闘権によって物事を処理することを選ぶわけで,通常の犯罪集団とも区別される。 20世紀になってファシズム政府は中央権力をすみずみまで貫徹するためにマフィアに弾圧を加えたが,第2次世界大戦中アメリカ軍がシチリア上陸に際してマフィアを利用したことから復活した。現在では農村よりも都市の諸利権確保がマフィアの主要舞台となっている。なお 19世紀末から 20世紀初めにかけてシチリアから大量の移民がアメリカ合衆国,南アメリカへ渡ったときマフィアの名もアメリカに持込まれたが,シチリアのマフィアとは違った性格を有するようになり,アメリカに根づいたマフィアは都市犯罪組織としての性格を特徴とするにいたった。 1930年後半にはアメリカ犯罪組織のなかで最大,最強のものとなり,60年代のアメリカには犯罪組織としてのマフィアが 24も数えられた。組織のうえではシチリアのそれを踏襲し,それらマフィア・グループの統領たちは評議会を構成して組織の掟を決定し,中間ボスの組織を通じて末端の兵士に,レストラン業,機械販売業,理髪業などの経営のほか,非合法の売春,賭博,麻薬売買などに従事させた。また組織の不法行為 (殺人,暴行,買収など) は上部に類を及ぼさないよう監視した。しかし 70年代に入るとシチリアの伝統をもつボスも少くなり,シチリア移民もアメリカの風土に溶け込んできたため,マフィアの力は衰退の兆しを見せはじめた。

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