マジャール人(読み)マジャールジン(その他表記)Magyarok

デジタル大辞泉 「マジャール人」の意味・読み・例文・類語

マジャール‐じん【マジャール人】

Magyar》現在のハンガリー人自称。原住地はウラル山脈からボルガ川流域地方で、9世紀末ごろ現在地に移り、定住言語ウラル語族フィン‐ウゴル語派に属する。

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精選版 日本国語大辞典 「マジャール人」の意味・読み・例文・類語

マジャール‐じん【マジャール人】

  1. 〘 名詞 〙 ( マジャールはMagyar ) ハンガリー民族の自称。大部分がハンガリーに、一部が周辺諸国に居住。言語はウラル語族に属する。原住地はウラル山脈付近と推定される。

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改訂新版 世界大百科事典 「マジャール人」の意味・わかりやすい解説

マジャール人 (マジャールじん)
Magyarok

ハンガリー人の自称。フィン・ウゴル語派のウゴル語系に属するマジャール語を話す。フィン・ウゴル語派の原住地は,現在のところ,ウラル山脈中・南部付近とされている。前3~前1世紀にフィン語系とウゴル語系の民族は北と南に分かれ,それぞれ西進するが,マジャール人はバシキールバシコルトスタン)あたりで独自の人種的言語形成を行った。7~8世紀ころにドン川中流へ移り,ここでブルガールトルコ系諸族の文化的影響を受けた。このとき密接な関係のあったオノグルOnogur族の名前から,外国語での〈ハンガリー人〉(スラブ語系のvenger,ドイツ語のUngar,フランス語のHongrois,英語のHungary)が出ている。マジャール人は9世紀にはドニエストル川とドン川の間へ移り,895-896年に族長アールパードÁrpád(?-907ころ)に率いられて,カルパチ盆地ハンガリー盆地)に入り,独自の国家を建てた。このときのマジャール人は,7部族で40万~50万人とされている。遊牧民であった彼らは,カルパチ盆地の先住民たるスラブ人らと戦うとともに,彼らから農耕を学び,彼らと融合した。11世紀初めのイシュトバーン1世の時代に諸部族の統一,農耕生活への定着,キリスト教化,統一的封建国家の形成がなり,ハンガリー王国が建てられた。こののち11~12世紀にハンガリー王国はクロアチアスロバキアを含む国家となり,13世紀にはモンゴル侵入があるが,15世紀のマーチャーシュ1世の治下では中欧最大の国家となり,ルネサンスの花を咲かせた。しかし1526年から1699年まではオスマン・トルコとハプスブルク家の,その後は後者の支配を受け,その間に中貴族を中心に民族意識も芽生えた。19世紀に入って民族主義が広がり,1848年革命時に一時独立をするが失敗し,ようやく67年のアウスグライヒ(妥協)によって独自の国家を再建した。しかし国内の諸民族の自覚には不寛容で,第1次大戦後〈歴史的ハンガリー〉が解体したばかりか,多くのハンガリー人を国外に残すこととなった。この状態の是正を目ざす領土の〈修正主義〉が戦間期の不幸を生んだが,第2次大戦後は社会主義のもとで偏狭な民族主義は克服されてきた。なお,今日全世界でハンガリー語を話す人は約1450万人とされ,ハンガリー国内に住むものは約1000万人である。
ハンガリー
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マジャール人」の意味・わかりやすい解説

マジャール人
まじゃーるじん

ハンガリー人のこと。マジャールMagyarは彼らの自称で、もとは部族連合内の一部族名に由来する。言語はマジャール語(ハンガリー語)で、フィン・ウゴル語族に属す。現在の人口は周辺諸国をあわせて1500万ほどで、同語族のなかでは最大。紀元前1000年ごろに揺籃(ようらん)の地ウラルを離れ、その後は長期にわたってトルコ系諸民族と共存、牧畜・農耕を学ぶ。Ungar(ドイツ語)、Hongrois(フランス語)などの今日のヨーロッパでの呼称は、トルコ語のオノグルonogur(10の部族の意)に起源をもつ。紀元後はフン人、ハザール人などの支配下にあったが、9世紀初めに独自の部族連合を形成。ただし二重首長制は前支配部族から継承した。895年ころの建国時の人口は約50万。13世紀モンゴル人来襲による人口激減を受けて、ベーラ4世によるドイツ人、イタリア人、トルコ系クン人などの入植が行われた。周辺のスラブ人も含めて、これらの諸民族との混住から、今日のマジャール人の基礎ができた。

[家田 修]

『E・パムレーニ編、田代文雄・鹿島正裕訳『ハンガリー史』(1980・恒文社)』

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旺文社世界史事典 三訂版 「マジャール人」の解説

マジャール人
マジャールじん
Magyars

現在のハンガリーの主要構成民族
フィン−ウゴル語族に属し,原住地はウラル山脈南西部と推定される。しだいに南西方へ移動し,黒海北岸をへて9世紀末にハンガリーの地にはいった。キリスト教化が進むとともに定住生活を営むようになり,11世紀初頭イシュトバン1世のころ,ほぼ国家統一をとげた。13世紀のモンゴルの侵入で打撃を受けるが,15世紀にはマーチャーシュ1世のもとで中欧最大の国家となり,ルネサンスの華が開いた。その後,オスマン帝国,オーストリアの支配を受け,1867年のアウスグライヒ(妥協)でオーストリア−ハンガリー帝国を形成,第一次世界大戦によって領土の多くを失った。

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世界大百科事典(旧版)内のマジャール人の言及

【ウラル語系諸族】より


[分布]
 ウラル山脈の西側(山脈の東側も含むとの説もある)が原郷とされているウラル語系諸族は現在,スカンジナビアからタイミル半島に至る北方ユーラシア西部(東経56゜~70゜)に広く分布するが,スラブ,ゲルマン,バルト,チュルク,ツングース系諸族と交錯しあっており,分布は連続性を欠くところが多い。なかでも最有力民族の一つであるマジャール人は9世紀に東ヨーロッパへ移住して以降,上記の分布域から遠く隔たった離れ島をなしている。総人口は約2400万。…

【トランシルバニア】より

…トランシルバニアは〈森の彼方の国〉という意味で,12世紀のラテン語文献にTerra Ultrasilvanaの形で初めて現れる。これはマジャール人(ハンガリー人)がハンガリー南部の平原から西カルパチ山脈以遠の地をさして呼んだことばであった。ハンガリー語ではエルデーイErdélyと呼ばれるが,これも同じ意味をもち,ルーマニア人もそれに由来するアルデアルArdealという名称をトランシルバニアと併用している。…

【レヒフェルトの戦】より

…ドイツ国王オットー1世マジャール人の侵入を撃退した戦い。955年バイエルンに侵入したマジャール人は,さらにシュワーベンに侵入を企て,アウクスブルクを攻撃したが,アウクスブルク司教の指揮する守備軍の抵抗により,陥落させることができなかった。…

※「マジャール人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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