日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリック」の意味・わかりやすい解説
マリック
まりっく
Terrence Malick
(1943― )
アメリカの映画監督。イリノイ州オタワに生まれる(テキサス州ウェーコーとの説もあり)。石油会社の重役を父にもち、テキサス、オクラホマといったアメリカ中部で成長した。1966年、ハーバード大学を卒業した後、ローズ奨学生(イギリス生まれの南アフリカの政治家、セシル・ローズの遺産により、オックスフォード大学で創設された奨学金制度)としてイギリスのオックスフォード大学に留学。帰国後、ジャーナリストとして活動するかたわら、1968年マサチューセッツ工科大学で哲学の講義を担当。1969年にはハイデッガーの『根拠の本質』Vom Wesen des Grundes(1929)を英訳、出版している。やがて映画製作を志し、同年ロサンゼルスのアメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)で修士号を取得。卒業製作として短編映画『ラントン・ミルズ』(1969)を監督した。その後、『運転しろと彼は言った』Drive, He Said(1971。監督ジャック・ニコルソン)や『ダーティハリー』(1971。監督ドン・シーゲル)の脚本にも関わったが、クレジットされなかった。『ポケット・マネー』Pocket Money(1972。監督スチュアート・ローゼンバーグStuart Rosenberg(1927―2007))の脚本を経て、プロデューサー、監督、脚本の3役を兼ねた『バッドランズ』(1973)でデビュー。若い恋人たちの逃避行を描いたこの映画は、同様の題材を扱った『俺たちに明日はない』(1967。監督アーサー・ペン)のようなアメリカン・ニュー・シネマの潮流を明瞭(めいりょう)に意識しており、アメリカの原風景的眺めに、ときおりポップ・アート風の鮮烈な色彩を導入する知的な作風と相まって称賛を浴びる。続く『天国の日々』(1978)では、第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)して間もない時代の中西部を舞台に3人の男女の愛憎を詩情豊かに描いた。撮影監督にはフランス映画の名カメラマン、ネストール・アルメンドロスNéstor Almendros(1930―1992)が迎えられ、70ミリの巨大スクリーンに展開する繊細な光の戯れは、今なお高い評価を受けている。アカデミー最優秀撮影賞、カンヌ国際映画祭最優秀監督賞を獲得。しかし同作品は興行的に失敗し、落胆したマリックは、わずか2本の長編映画を残して小説家サリンジャーにも比される長い隠遁(いんとん)生活に入った。
1970年代におけるマリックの仕事は、監督の実権が強まっていた当時のハリウッドにあって、反ハリウッド的な映画作法をさらに押し進めたものだった。恋人の父親を射殺する『バッドランズ』の主人公も、恋人を妹と偽って農場主の妻に差し出す『天国の日々』の主人公も、その心理的動機は従来のハリウッド映画とは比較にならないほど曖昧(あいまい)で、そうした動機なき行動の引き起こす結果こそが、審美主義的に注視される。事後的な視点から行動に一歩先んじて語られるボイス・オーバー(画面にかぶさって虚構世界の外から語られる声)の用い方も斬新(ざんしん)である。また、従来の情緒的なハリウッド式映画音楽とは異質の透明感あふれるクラシック音楽の使用は、その後の英語圏における芸術映画にとって一つの範例となった。
1998年、太平洋戦争中のガダルカナルを舞台にした大作『シン・レッド・ライン』で20年ぶりに監督復帰。同時期に公開されたスピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』とともに、20世紀末のアメリカ国内において第二次世界大戦の記憶をめぐる論争を巻き起こした。
[藤井仁子]
資料 監督作品一覧
ラントン・ミルズ Lanton Mills(1969)
地獄の逃避行 Badlands(1973)
天国の日々 Days of Heaven(1978)
シン・レッド・ライン The Thin Red Line(1998)
ニュー・ワールド The New World(2005)
ツリー・オブ・ライフ The Tree of Life(2011)
トゥ・ザ・ワンダー To the Wonder(2012)
『James Morrison, Thomas SchuThe Films of Terrence Malick(2003, Praeger Publishers, New York)』▽『Hannah Patterson ed.The Cinema of Terrence Malick; Poetic Visions of America(2003, Wallflower Press, London)』