日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライアン」の意味・わかりやすい解説
ライアン
らいあん
Lynn Nolan Ryan Jr.
(1947― )
アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のニューヨーク・メッツ、カリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)、ヒューストン・アストロズ、テキサス・レンジャーズで投手としてプレー。「エキスプレス」の異名をとり、通算5714奪三振の大記録を打ち立てた豪速球投手である。
1月31日、テキサス州レフュージオで生まれる。アルビン高から1965年、ドラフト8巡目指名を受けてメッツに入団。当初から、コントロールは悪いがスピードは群を抜いており、1966年のシーズン終盤には大リーグ昇格を果たした。1969年にはチームがワールド・シリーズに進出。第3戦に救援で2回を投げ、「ミラクル」とよばれたワールド・シリーズ優勝に貢献した。1972年にエンゼルスに移籍、本格的に才能を開花させた。移籍1年目から3年連続して奪三振王となり、とくに1973年は奪三振383のシーズン新記録を樹立したうえに、2回もノーヒットノーランを達成。「カリフォルニア・エキスプレス」とよばれて人気を集めた。1974年と75年にもノーヒットノーランを達成。1976年から79年まで、ふたたび4年連続で奪三振王となった。1980年からはFA(フリーエージェント)でアストロズへ移籍。初の年俸100万ドル・プレーヤーとなった。1981年は5回目のノーヒットノーランをマークし、最優秀防御率を獲得。1987年には最優秀防御率と奪三振王の二冠王となった。1988年も奪三振王となり、レンジャーズへ移籍した89年と90年も奪三振王を獲得。1990年に6回目、91年には44歳で史上最多7回目のノーヒットノーランを達成した。最後まで速球派のピッチングで押し通したが、肘(ひじ)の故障には勝てず1993年限りで引退。
27年間の通算成績は、登板試合807、投球回5386、324勝292敗、防御率3.19、奪三振5714、完投222、完封61。獲得したおもなタイトルは、最優秀防御率2回、最多奪三振11回。1999年に野球殿堂入り。
[山下 健]
『ノーラン・ライアン、ハービー・フロマー著、武田薫訳『熱球ノーラン・ライアン』(1993・ベースボール・マガジン社)』▽『ノーラン・ライアン、トム・ハウス著、斉藤信太郎、川島英夫訳『ノーラン・ライアンのピッチャーズ・バイブル』(1992・ベースボール・マガジン社)』